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母ちゃんの歌を褒めてくれた小林幸子さん~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

島田洋七
島田洋七 (C)週刊実話Web

以前、うちの母ちゃんが小林幸子さんに「歌が上手い」と褒められたと書きましたね。それを言われたのは、萩本欽一さん司会の『オールスター家族対抗歌合戦』(フジテレビ系)という歌番組に出演したときのことなんです。うちの嫁や子供、母ちゃんの島田洋七チーム対小林幸子さんの家族との対戦でしたね。


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母ちゃんは、広島ではそれなりに有名人だったんです。三味線に歌と踊りができた。しかも、年に一度は広島市公会堂で花柳流の踊りを披露していた。普段は、大きな中華料理屋で仲居頭として働いていたんですが、経営している方が高齢だったから、事実上の支配人を務めていました。近所にもう一つ中華料理屋ができると、二つの店を盛り上げようと、計20人くらいの仲居さんから有志を集り、6~7人で演芸部を結成してましたね。

番組のリハーサルが始まると、当時は生バンドでしょ。母ちゃんが歌って踊るとスタッフや出演者から「上手ですね!」。母ちゃんは母ちゃんで「本番は緊張し音がもっと出ますから、半音上げてください」とお願いしていました。

続いて、小林幸子さん家族チームのリハーサルが始まった。小林さんが持ち歌を歌うと、それを見た母ちゃんは「上手いな~」とビックリしてましたよ。「そりゃ、ほんまもんやもん」と俺が返すと、「お前が漫才師だから、そっくりさんが出るのかと思った」、「バカヤロー(笑)」。リハーサルを終えた小林さんに「お母さん、ものすごく上手ですね!」と褒められて、母ちゃんは舞い上がってましたよ。

母ちゃんはまた褒められて大喜び

今でこそ、漫才師の株は上がりましたけど、当時は歌手のほうが断然上でしたから。番組収録でも、家族揃って小林さんの楽屋へ挨拶に行くと、マネジャー2人にレコード会社の人も来ていましたから。俺らはマネジャー1人だけですよ。違うなと思いましたね。

その後、『佐賀のがばいばあちゃん』が大ヒットした頃、新幹線で小林さんにバッタリ遭遇しました。「本読みましたよ。あんな本を書けるなら今度、私の歌詞も書いてくださいよ」、「プロの歌手の歌詞なんて書けませんよ」。その話は流れましたが、それでも「お母さんは本当に歌が上手ですね」と、またも褒めてくれたんです。そのことを母ちゃんに伝えると、「私のことを覚えていてくれたの?」と大喜びでしたね。

母ちゃんは、小林さんに褒められたのがよほど嬉しかったんでしょうね。人気者の母ちゃんの家には友達がよく遊びに来る。そのとき、テレビに小林さんが出ていると、「この人としゃべったことある」とよく自慢していましたよ。

よくよく考えると、一般の人は街で芸能人を見かけることはあるかもしれないけど、収録の間、2~3時間も一緒にすごして、お弁当を食べたり個人的な話をする機会なんて、そうあるものじゃないですもんね。

俺も昔は演歌にそんなに興味はなかったけど、年を重ねると、歌詞が身に染みますね。車の運転をするときは音楽を流します。その際はサザンオールスターズとレディー・ガガですよ。レディー・ガガは英語で歌詞の意味が分からないけど、テンポがいいから楽しく運転できるんですよ。

島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。

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