(画像)Phuong D. Nguyen/Shutterstock
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『性産業“裏”偉人伝』第1回/売春スナック経営者~ノンフィクションライター・八木澤高明

その店は、土産物屋や観光客で賑わう目抜き通りからは外れた温泉地の裏通りにあって、10人も客が入ればいっぱいになってしまうような小規模な店だ。


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裏通りには、3軒の店が軒を連ねていて、どの店も外国人が経営者である。新型コロナウイルス感染拡大の影響などもあって、裏通りには明かりが灯らない潰れた店も目についた。


私が、一見すると寂れた裏通りにあるタイスナックの経営者、ニンという女性と知り合ったのは、今から2年ほど前。当時はまだコロナが猛威を振るっていて、日本全国の歓楽街が大打撃を受けていた頃のことだ。


私は知人を通して、この温泉地にタイスナックがあって、こっそりと売春をする女性がいるということを知った。そして、コロナが大流行している時期に、果たして売春が行われているのか気になり、足を運んだのだった。


店では、3人のタイ人女性が働いていて、経営者として切り盛りしていたのがニンだった。


最初に客を装って店に滞在してみると、実際に売春が行われていることが分かった。時には、客が泊まっている温泉旅館に送り込むこともしていた。


コロナ禍ということだけでなく、日本各地から売春スナックが消えている現状の中で、こっそりとではなく、むしろ公然と商売をしている彼女の姿に興味を持った。


思えば今から20年ほど前までは、女性を連れ出せる外国人スナックが日本各地に存在していた。そこで働くのは主にタイ人などのアジア系女性で、静岡の伊豆長岡、長野の御代田、茨城の石岡や土浦など私も少なからず遊んだものだった。


ところが2000年代初頭に全国各地で売春地帯の摘発が本格化すると、本来就労ができない観光ビザなどで日本に滞在するタイ人の娼婦たちは真っ先に摘発されていった。


現在、売春は、ネットの出会い系やデリヘルなど店舗型ではなく、目に見えない形に変化している。そういった〝古典的〟な売春を提供するタイスナックは、今や「売春界の天然記念物」と呼べるかもしれない。

ネットを使いホステス募集

経営者のニンは、今年50歳になるという。

来日して30年。本人の物語はのちほど聞くことにして、まずは店をどのように切り盛りしているのか気になった。


というのは、来日するタイ人は、観光ビザの取得が容易になり、20年以上前のように500万円ほどの借金を背負って来日する女性など皆無となっているからだ。そんなご時世、日本で売春しようというタイ人女性などいるのだろうか。


「それはね、昔と比べたら売春する女の子は減っているよ。この辺りだけじゃなく、タイのお店はどんどん減っているでしょ。だけどね、タイはまだまだ貧しい人も多いから、日本に働きに来る女の子はいるのよ。例えば、農業の実習生とかね。あの仕事だと月に10万円ぐらいしかもらえないから、お店で働こうという子もいるの」


現代の奴隷制度ともいわれる技能実習生制度は、賃金の未払いなど問題点も多い。事実、コロナ前の2018年には年間約9000人もが失踪している。


「みんな今はスマホを持っているから、フェイスブックとかを使ってホステスを募集すると、簡単に応募してくるのよ」


スマホで検索すれば、初めて訪れた日本でも、簡単に職探しができてしまう時代なのだ。


「今、うちで働いている3人の子も、みんなバラバラのところから来たのよ。千葉、福島、長野から来ているんだけど、全員、フェイスブックから繋がったのよ」


これまでは、ヤクザや人身売買のブローカーの介在なしでは成立しない業界だった。しかし、スマホやネットの力は、売春業界の構造そのものすら壊しているのだった。売春の求人すら、ネットで行う時代なのだ。


来日して30年になるニンは、これまで私が会ったタイ人の中で一番滑らかな日本語を話す女性だった。しかし、それだけに人知れぬ苦労を重ねてきて、この温泉地へと辿り着いていた。


「お父さんが小さいときに亡くなって、貧乏な家だったから、日本に行って働こうと思ったのよ」


借金を背負って来日し、最初に体を売ったのは、東京・新宿だった。


「風林会館のところにスナックがあって、そこで働いて、お店が暇なときには大久保界隈で立ちんぼもしていた。早く借金を返して、お母さんにお金をいっぱい送りたかった」


500万円もの借金をわずか半年で完済。そして、新宿時代に群馬県で暮らす日本人男性と出会い、結婚した。


しかし、5年後に離婚。子供は、元夫との間に娘が1人いるという。


「私1人で娘を育てて、今は成人して、埼玉に住んでて孫もいるよ。日本に来て本当に良かったと、感謝の気持ちしかないね。この国では、頑張れば頑張るだけお金稼げるでしょ」


異国で体を張って生き抜いてきただけあって、彼女のひと言、ひと言には、他にはない重みがあった。そして、柔和な表情をしているのだが、目の奥底からは気迫のようなものが滲み出ているように思えた。


今後ますます、この日本で売春を生業としていくことは厳しくなるのだろう。それでも、彼女ならきっと生き抜いていくに違いない。
八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 神奈川県横浜市出身。写真週刊誌勤務を経てフリーに。『マオキッズ毛沢東のこどもたちを巡る旅』で第19回 小学館ノンフィクション大賞の優秀賞を受賞。著書多数。