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『令和の“応演歌”』田中あいみ~父とのスナック通いで自然と歌を覚えた幼少期(前編)

田中あいみ
田中あいみ(C)週刊実話Web

――昨年末、『第64回輝く!日本レコード大賞』最優秀新人賞を受賞されました。おめでとうございます。受賞した心境は?

田中 ありがとうございます! 受賞が決まったと連絡があったのは、マネジャーさんとご飯を食べているときでしたね。事務所の社長から連絡があったんです。マネジャーさんが電話越しに「ありがとうございます。良かったです」と答えているんですけど、私は「え、何が?」みたいな感じで(笑)。何が起きているのか理解できなくて。家に戻ってから、ようやく実感が湧きました。その後、インスタライブでファンの方々に受賞の報告をした際に、やはりグッとくるものがありましたね。

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――歌謡曲や演歌の方は、やはり幼い頃からその道を目指されている方が多いイメージです。幼い頃からの夢が叶ったということでしょうか?

田中 実は、幼い頃から歌手を目指したわけではないんです。幼い頃は警察官の方に助けてもらったのがきっかけで、警察官になるのが夢でした。そのために剣道を習っていました。

ただ、父の影響で演歌や歌謡曲には幼い頃から慣れ親しんでいたんですね。母が朝早い仕事をしていたため、夜は父が私の面倒を見てくれていて。でも父は飲みにも行きたい。それで小さいときから一緒にスナック通いを始めました(笑)。

一緒にスナックに行くと、ママたちにかわいがってもらえるじゃないですか。そのうちに自然と歌を覚えるようになって、3歳で桂銀淑さんの『すずめの涙』をスナックで歌ってました。そうするとお客さんたちからお小遣いをもらえたんです。結局、パパが「こういうのは親が大事に持っとかなあかん」と預かるんですけど、いつの間にか飲み代にかわっていました(笑)。

テレビは友達を話を合わせるために見る

――3歳で桂銀淑さんの曲はすごいですね。歌を習ったりはしなかったんですか?

田中 父が応援していた地元の歌手の方がいて、その方と一緒にスナックに行ったとき、「あいちゃん、こんだけ歌うの好きやったら、1回習ってみたらエエやん」と勧められたんです。それで紹介されたカラオケ教室に通い始めました。それが小学校3年のときです。カラオケ教室と言っても、地元の演歌好きのおじいちゃん、おばあちゃんが参加するサークルですけどね。

――お父さんとのスナック通いはいつ頃まで続いたんですか?

田中 中学3年のときに、実家が引っ越したんです。するとパパが、家の1階で昼はカラオケ喫茶、夜はスナックを始めたんです。だから常に演歌や歌謡曲が身近にある生活でした。小中学校のときは、携帯電話の着メロが長渕剛さんの『乾杯』。友達からは「お前、やばいな」って(笑)。

当時、AKB48やK-POPが流行っていたんですけど、歌謡曲や演歌しか聴いてこなかったので興味を持てなかったんです。それでも友達と話を合わせるためにテレビは見てましたね。でも、曲は知らないんです。だからテレビの話題になっても「出てたな。見た、見た」「踊ってたな」くらいしか答えられないんですよ。

一緒にカラオケへ行っても、私が『天城越え』などを歌い始めると、友達は「休憩、休憩」と言って、ドリンクバーへ飲み物を取りに行って、私の曲を聴いてもらえなかったんです(笑)。

(以下、中編へ続く)

たなか・あいみ
2000年7月26日生まれ、京都市出身。2019年日本クラウン演歌・歌謡曲新人オーディションでグランプリを受賞。2021年11月『孤独の歌姫(シンガー)』でデビュー。2022年『第64回輝く!日本レコード大賞』最優秀新人賞受賞。3月6日〜13日まで御園座で行われる『細川たかし&吉本新喜劇』に出演。

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