『昭和猟奇事件大捜査線』第46回「『女房を殺さんことには気が済まん』駆け落ちした妻を許せなかった男」~ノンフィクションライター・小野一光
近畿地方I県にあるZ警察署に、工員風の男が慌てた様子で飛び込んできたのは、昭和40年代の冬、午後3時すぎのことだった。
「内縁の妻が、今日の午前10時ごろ、乗用車で来た2人組の男に連れ出された。そのうちの1人は、妻の前夫の沢田哲也(仮名、以下同)らしい…」
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駆け込んできた男はZ町に住む本郷芳樹(38)で、内妻は沢田留美子(30)だと説明する。
Z署の刑事課長は、とりあえず事情を本郷本人から聴取するとともに、捜査員に本郷家の周辺での聞き込みを命じた。その結果、留美子を連れ出したのは、確かに彼女の前夫で、現在も戸籍上は夫である、沢田哲也のようだった。
本郷の話によると、沢田の本籍地はZ県であるという。そこでZ県警の所轄署を通じて問い合わせたところ、沢田の現住所はG県L市で、そこに長女(13)らとともに住んでいることが判明した。
続いてG県警に沢田の所在調査を依頼したところ、次の回答があった。
「沢田は3日前から妹の結婚話のため、故郷のZ県に帰るといって家を留守にしていた。しかし昨日の深夜、亀田という男と連れだって帰ってきたが、娘から留守中に警察官が訪ねて来たと聞くや、顔色を変えて出ていったまま所在不明だ」
そこでI県警は、沢田留美子を〝殺害が予想される行方不明者〟として全国に手配し、G県警に亀田の取り調べを依頼した。
亀田五郎(19)は、L市の運輸会社のトラック運転手。G県警の取り調べに対して言う。
「3日前、I県Z町で沢田哲也と2人で女を連れ出した。それから女を車に乗せて、U市内の大きな橋のところまで連れていき、私はそこで沢田から5万円をもらって車から降り、パチンコをしていた。1時間半くらい経って沢田が1人で帰ってきて、『女に逃げられた』と言っていた。それから沢田と2人でL市に帰ってきた。女がどうなったのかは知らない」
「日当として5万円をもらった」
やがて沢田が実父に対して、「苦しい人生に疲れがきた。いまから死にます。長女のことをよろしく頼む」と、L市内の消印で、遺書めいた手紙を出していることが明らかになる。亀田が車を降りたU市内の橋は特定され、周辺では徹底的な捜索が行われたが、留美子の行方は依然として分からない。
I県警は亀田の取り調べを徹底するために、彼の出頭を求めた。亀田は体が大きく、一見すると26〜27歳で、とても19歳には見えない。取り調べで彼は、G県警に対するものと同じ供述を繰り返す。
だが、連日に及ぶ取り調べで取調官が粘って追及したところ、亀田はやがて耐え切れなくなったのか、ついに自供を始めた。
「沢田に頼まれて、午前10時ごろに被害者をおびき出し、U市のJ川沿いの竹やぶの中に連れていった。沢田が女を殺して土の中に埋めた。日当として5万円をもらった…」
その日の夜から、亀田が供述した場所での捜索活動が始められた。河原には密生した竹やぶが広がり、それらしく見える場所を丹念に捜索するが、なかなか見つからない。
死体発見の一報がもたらされたのは、翌日の午前7時のことだ。死体の埋められた土の上には一面に竹や木の落ち葉が撒かれ、地面はまったく見えない状態だった。
被害者の死体は横向きになっており、青色毛糸のカーディガンなどの着衣は、体の前面下腹部から上部にかけて刃物で切り裂かれている。死体に硬直はなく、すでに腐敗しかけており、全身の表皮が剥離しかかった状態で、泥まみれとなっていた。
死体は解剖にまわされ、死因は柔らかな物体による鼻口の圧迫、または細ひものようなものでの絞頚による窒息死とされた。
死体が発見されたことで、U署に設置された捜査本部では、以下の捜査方針が立てられる。
○亀田の取り調べの徹底 ○沢田哲也の指名手配と立ち回り先の手配 ○被害者方周辺の聞き込みの徹底 ○採証活動の徹底
亀田を逮捕するのと同時に、捜査本部は沢田を本件殺人事件の被疑者として、全国に指名手配するとともに、手配書を作成し、追い込みの態勢を整えた。
はたして沢田はまだ生きているのか――。
殺さんことには気が済まん…
捜査本部の心配は杞憂に終わった。新聞で亀田が逮捕されたことを知った沢田が、友人に付き添われてP県警のP警察署に出頭したのである。沢田は留美子と結婚後、長女と次女が生まれてからは子供がいらないと、みずから不妊手術を受けた。そのため著しく精力が減退していった彼は、妻の浮気を懸念し、些細なことで腹を立てては暴力を振るっていたことから、夫婦仲が急速に悪化していく。
そんな折、近所に住んでいた本郷の親切にほだされ、留美子は妻のいる彼と駆け落ちをしたのだった。
沢田は自分を捨てた妻を極度に恨み、殺害を何度か考えたが、子供のこと、親兄弟のことを考えると決意が鈍り、彼らの行方が分からないまま月日が過ぎていったと語る。
しかし、ある日、沢田は行動を起こす。妻と本郷との間に子供が生まれていれば、本郷の戸籍謄本に生まれた場所が書いてあるだろうと考えた彼は、本郷の別れた妻に頼み、戸籍謄本を取り寄せてもらったのだ。
するとそこには、I県Z町で彼らの間に長女が誕生していることが、記載されていたのである。
そこで妻の殺害を決意した沢田は、娘と両親宛てに書き置きをして、刺身包丁1本を持って、Z町に向かうべく準備をしたが、娘の寝顔を見ているうちに決意が鈍ってしまう。
その後、苦しいことがあるたびに、自分を捨てた妻を思い出し、憎しみはますます深まっていった。そしてふたたび沢田が戸籍謄本を取り寄せたところ、彼らの間に次女が生まれていることが分かったのだ。
ちょうどその頃、沢田は勤め先の得意先である、L市の食堂に下宿していた亀田と知り合った。
ある日、沢田が亀田に対して、「俺の女房は3年ほど前に、近所に住んでいた男と駆け落ちをした。そのとき俺の預金通帳と親類から100万円を集めて出た。女房を殺さんことには気が済まん」と話す。なお、実際に留美子が親類から借りたのは、100万円ではなく、10数万円だった。
それを聞いた亀田は「俺も手伝ってやるから、やったれ」とけしかけたという。
「生きて帰れると思うな」
その際に2人の間で、3つの取り決めがなされた。○留美子のおびき出しは亀田がやる ○亀田への謝礼として5万円を沢田が支払う ○留美子を殺害する前に亀田に姦淫させる
犯行のための準備を整えた2人はL市でレンタカーを借り、遠く離れたI県Z町を目指す。
出発の翌朝午前9時ごろ、目的の家を捜すため、道を聞きながらZ町に来たところ、乳母車に乳児を乗せ、2歳ぐらいの子供を歩かせて近くの寺に入る留美子を発見した。
沢田は神の導きのようなものを感じ、矢も盾もたまらず、刺身包丁を持って車外に飛び出したという。それを亀田が慌てて止める。
亀田の勧めで一旦、U町まで引き返し、心を落ち着かせた沢田と亀田は、2人で死体を埋める場所を決め、その後、Z町に戻って被害者宅を確認すると、U町の旅館に宿泊した。
翌朝、前もって相談していたように、本郷が出勤のために家を出たのを確認してから、亀田が留美子のもとを訪ねる。
「L市から長女が会いに来ている」
おびき出しとも知らずに家を出た留美子は、たちまち車の中に引きずり込まれた。亀田が車を運転し、死体遺棄場所へ向かう道中で、沢田は車の後部座席に留美子と並んで座る。彼は「3年前はお前のために死ぬほど苦しんだ。今日は生きて帰れると思うな」と留美子の顔面を殴りつけた。
車が竹やぶに着くと、隙を見て逃げ出した彼女を亀田が捕まえる。そして沢田と亀田の2人で留美子の両手、両足を押さえつけると、まず亀田が強姦し、続いて沢田が行為に及ぶも不発に終わる。だが、彼は所持していた綱を取り出して留美子の首に巻き付けると、力一杯締め上げた。
やがてぐったりと動かなくなった留美子を、前日掘った穴の中に入れ、沢田が刺身包丁で着衣を下腹部からあごにかけて一直線に切り開く。そして衣類を剥ぎ取りにかかったが、穴の中のためうまくできない。
結局、衣類の中からこぼれ落ちた財布1個を奪い、スコップで土をかけ、しっかり踏みつけたうえ、竹の落ち葉で覆ったのだった。
犯行後、自殺を決意した沢田は死にきれず、友人の世話でP市の運送会社に就職するも、殺人容疑での指名手配を知り、友人に連れられて出頭した。
一方の亀田は、G県警の取り調べを受けるまでは、沢田にもらった5万円をつかい、L市内で遊びまわっていたが、それに続くI県警の取り調べで自供し、逮捕されたのだった。
小野一光(おの・いっこう) 福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーに。『灼熱のイラク戦場日記』『殺人犯との対話』『震災風俗嬢』『新版 家族喰い――尼崎連続変死事件の真相』など、著者多数。
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