林寛子 (C)週刊実話Web
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タレント/林寛子インタビュー〜芸能生活60周年&歌手生活50周年「“きょうよう”と“きょういく”」が老けない秘訣

子役の頃の図抜けたかわいさと歌のうまさが印象深い林寛子。バラエティー能力に長け、演技にも定評があった。黒澤久雄氏との離婚から今年で20年経ち、16年前には都内にカラオケサロンを開店した。「ほぼ毎日お店に出て、ミニライブも行っています。いつでも歌える場所があることが本当に幸せ♪」と話す。今年64歳になる彼女は相変わらずチャーミングで元気だ。その秘訣に加え、気になる再婚話など、お店を訪ねて話を聞いた。


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――カラオケサロン『ラブリー寛寛』を開店されて16年。コロナ禍で2年間も閉めざるを得なかったそうですが、その間はどうされてたんですか?


林 お店をスタジオ代わりにしてライブ配信をしていました。リクエストを募り、その場でピアノ演奏に合わせて生歌を歌うんです。90%くらいは歌えるのですが、できないものは宿題にして持ち帰り練習しました。


――やはり林さんの持ち歌をリクエストされることが多いのでしょうか?


林 もちろんありますが、それよりも1975年から85年くらいの昭和歌謡が多いですね。『赤いスイートピー』とかアイドルをしていた頃の同世代、たとえば片平なぎささん、榊原郁恵さん、岡田奈々さんといったところです。堀越高校つながりでもあるんですけど。


――お店には毎日出ているんですね?


林 はい。ラジオやテレビ出演が重ならない限り、ほぼ毎日お店に出ています。ミニライブも行っていて、リクエストに応えながらデュエットも含めて20曲くらいは普通に歌うんですよ。お店を始めた理由が「いつでも歌える場所があれば」ということだったので、今は本当に幸せです。


――客側からすると、スナックに飲みに行くような感覚とはちょっと違う?


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林 カラオケサロンと銘打っているので、お酒飲み放題のライブ会場にいらっしゃるような感覚で来ていただければと思います。昔からのファンの方は2割くらいで、「初めて生歌を聴いた」という若い方もいらっしゃいます。毎月、第4土曜日にはこのお店でマンスリーライブも行っているんですよ。

『キングオブコント』に出場!?

――先ほど堀越高校の話が出ましたが、同級生の大場久美子さんとは2014年に『キングオブコント(KOC)』に出場されて大きな話題になりました。

林 あれは本当に瓢箪から駒なんです。お客様にKOCの関係者の方がいて、「出てみますか?」と言われたのがきっかけ。でも、コントだから1人ではできない。そこで思いついたのが久美子ちゃん。その場で電話して「こういう話があるんだけど…」と言ったら、「やりたーい♪」って。それで出場が決まったんです。とはいえ、裏口や忖度などは一切なし。ネタは私が考えました。ちょうど久美子ちゃんがダイエットに成功したところだったので、「じゃあもう、水着で頑張る」と言ってくれたんです。


――『○1○2(まるいちまるに)』というコンビ名で、ベテラン女優2人の楽屋…という設定でした。


林 2人ともピンクのガウンを羽織り、アナ雪やアグネス・チャン、芦田愛菜ちゃんのモノマネをして、終盤には久美子ちゃんがウサギの被り物をかぶった状態からガウンを脱ぎ捨ててビキニ姿を披露しました。意識したわけじゃないんですけど、私たちがやると昭和な感じのコントでしたね。


――惜しくも2回戦敗退となりましたが、3回戦に出ていたらどんなネタを?


林 実は、自信があったんですよ〜。もう時効だからお話ししてもいいかな? 私がカラオケのお店をやっていて、「ホステスさん募集」の張り紙を見た久美子ちゃんがやって来るんです。「あなた、かわいいから看板娘になれるわね」と即採用。ところが歌わせてみるとすごくヘタで…(笑)という、設定なんですけどね。


――それもやはり、アイドル時代にバラエティーで培った感性なんでしょうか?


林 そうですね。ドリフターズの皆さんには本当に鍛えられました。コントの「間」というのはお芝居にも役に立ちましたし、あの頃のアイドルは歌だけでなく、何でもできないと使ってもらえませんでしたから。


――堀越時代の思い出は他にもありますか?


林 修学旅行で韓国に行ったとき、現地の男子生徒に惚れられて、英語のラブレターをもらったことがあります。あとは当時、仲の良かった普通科の子たちとは、今でも私のお店で同窓会をやっているんですよ。LINEグループを作っていて、堀シス(堀越シスターズ)と呼んでいるんです。 勇気のある方、募集中!?

――子役として仕事を始めたのが4歳で、アイドル歌手デビューをしたのが14歳。ちょうど60周年と50周年になるんですね。歌手になったきっかけは何だったんでしょう?


林 13歳でオーディション番組の『君こそスターだ!』(フジテレビ系)でグランドチャンピオンになったんです。デビュー曲は『ほほえみ』でした。


――そして1975年に出した、『素敵なラブリーボーイ』が大ヒットした。当時のかわいらしさは別格でした。


林 ありがとうございます。あの頃は「私よりかわいいアイドルはいない」と、一瞬ですけど、思ったりして(笑)。でも、すぐに冷静になって「アイドルは虚像だ。他人が作り上げたイメージの中に私はいるんだ」という、客観的な見方になりました。


――中学生くらいでその達観はすごい。


林 だからこそ、天狗になったり舞い上がりすぎることもなく済んだんだと思います。厳しい両親からは「大根1本、ネギ1本の値段を知らないような女性に育ってはいけない」と、よく言われていたんです。そのことは今でも感謝しています。


――当時から超売れっ子で、恋愛をする暇もなかったわけですね?


林 まったくその通りで、最初にできた彼氏が結婚することになる(黒澤)久雄さんなんです。


――20歳でした。その後、23年目に離婚。以来、ずっと独身のままですよね?


林 私は離婚という言葉よりも「卒業」と言ってるんですけどね。黒澤家を卒業させていただいて、今も独身のままです。


――『素敵なラブリーボーイ』の♪あっなたっは特別な〜という歌詞は思春期の男子には刺激的でした。今、寛子さんを♪自由にできる〜男の子はいるんですか?


林 あっははは。残念ながらいないんですよぉ。


――結婚はもうこりごり?


林 そんなことはありませんよ。毎日のように「勇気のある方、募集してま〜す」と言ってるんです。子供たちからも「もう1回くらいお嫁に行ってよ」と言われてます。独りで暮らしてるより、安心ということなんでしょうけど…。


――健康面での不安などはないんですか?


林 今のところ大丈夫です。毎日、何かしらの用事があって出かけますし、お店にもきちんと出られていますから。


――老けない秘訣があったら教えてください。


林 いつもニコニコ笑っていられるというのが一番じゃないかと思いますね。あとは、お店のことも含めてお客様やファンの方に期待されることかな。お店でも「きょうようときょういくが大事なのよ」と話しているんです。最初は皆さん、ピンとこないんですけどね。


――教養と教育、ですよね。


林 そうそう。いくつになっても学びは大事…って、そうじゃないんです。「今日、用がある」ということと、「今日、行くところがある」ということ。それが「きょうようときょういく」です。


――なるほどぉ。勉強になりました(笑)。
◆はやしひろこ 1959年、東京都生まれ。1967年NHK朝の連続テレビ小説『旅路』で注目を浴びる。現在、Tokyo Star Radio(八王子FM)にて『林寛子のラブリーアイランド』レギュラー出演中。カラオケサロン『ラブリー寛寛』は東京都大田区雪谷大塚町11-11。