(画像)Repina Valeriya/Shutterstock
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岡本綾子「将来の夢はアメリカに行ってプレーすることです」~心に響くトップアスリートの肉声『日本スポーツ名言録』――第40回

2014年7月、日本プロゴルフ協会(PGA)で初となる女性理事に選出された岡本綾子。米国女子ツアーに本格参戦し、世界の舞台で成功を収めたことは、日本のスポーツ史に燦然と輝く偉業であり、そこに男女の区別はない。


近年、野球やサッカーをはじめ、海外で活躍する日本人アスリートは珍しくないが、昭和の時代にはまだまだその壁は高く、厚かった。それを打ち破った一人が女子プロゴルファーの岡本綾子だ。


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日本人選手がほとんどいなかった時代の米国女子ツアーに、1982年から本格参戦して通算17勝を記録。これは今も日本人女子ではトップの勝ち数である。なお2位は宮里藍の9勝で、現役では畑岡奈紗が6勝で3位に続く。1987年にはアメリカ人以外で初となる賞金女王に輝き、同年の年間最優秀選手にも選ばれている。


岡本は高校卒業後、大和紡績福井工場ソフトボール部のエース兼4番として活躍し、1971年の和歌山国体で優勝。その祝勝旅行で子供の頃から憧れたハワイを訪れた際、ゴルフ場を見学して感激し、「ゴルフでならまたアメリカに来ることができる」との思いからプロを志したという。


1974年に二度目のプロテストで合格すると、翌年はデビュー1年目にしてツアー初優勝を果たす。ソフトボールで鍛えられたパワーが生み出すドライバーショットは、同時代の女子プロの平均飛距離をゆうに30ヤード(約27.4メートル)は上回っていた。


この当時の女子プロは、曲げないショットやアプローチなどの小技、パットの巧さなど、いかにスコアをまとめるかの勝負で、パープレーが基本とされていた。そんな中で積極的にバーディーを狙っていく岡本のスタイルは、明らかに異彩を放っていた。

日本で結果を残しアメリカへ

ゴルフ初心者は、しばしば「スイングが野球の打ち方になっている」と指摘を受けることがある。バットで打つときのように手首を使うと、ゴルフではボールが曲がってしまうというのが、その大きな理由だ。しかし、岡本の場合は逆にソフトボールでの経験を活かし、「外角高めのボールをピッチャー返しするイメージで打っていた」と話す。

地面に置かれたゴルフボールと外角高めのソフトボールでは、ずいぶん印象が違いそうだが、その感覚は岡本オリジナルのものだろう。また、岡本は「ボールが曲がることを楽しめばいい」とも話している。


強靭な下半身に支えられたブレることのない美しいスイングと、常に一定のタイミングを保つテンポのよさは、国内外から高い評価を受けていた。イチローの父親で〝チチロー〟こと鈴木宣之さんは、小学生時代のイチローに「岡本選手のスイングを参考にしろ」とアドバイスを送ったという。


順調に勝利を重ねた岡本は1979年、日本ツアーの女子メジャータイトルである日本女子プロゴルフ選手権に初優勝。このとき記録した17アンダーは、3日間54ホール(当時)の女子では世界最小スコア。優勝を争った大迫たつ子とバーディーを奪い合う激闘は、他の参加選手たちが思わず見入ってしまうほどだった。


日本で結果を残した岡本は、プロ入り前からの悲願だった米国女子ツアーに参戦する。プロテスト合格時の会見で「将来の夢はアメリカに行ってプレーすることです」とコメントしたことで、「なんの実績もない新人が生意気だ」とひんしゅくを買ったこともあったが、岡本はデビュー当初に抱いた思いを貫き通したのだ。

〝生ける伝説〟が取材記者を圧倒

岡本のアメリカでの足跡は、冒頭にも記した通り。メジャー制覇こそならなかったが、それでもコンスタントに上位進出を果たしている。中でも1987年の全米女子オープンでは、英国のローラ・デービース、米国のジョアン・カーナーという当時のトップ選手を相手に、激しい優勝争いを繰り広げた。

豪雨による順延もあって6日間に及んだ同大会、岡本は第3ラウンド終了時点でトップに立ったが、最終日に追いついたデービースとカーナーとの三つ巴に。18ホールのプレーオフでデービースに敗れ惜しくも2位に終わったが、この激闘は「全米女子オープンが真の世界一決定戦となった象徴的な出来事」として、全米ゴルフ協会の公式HPでも紹介されている。


1990年9月のこと、久々の日本ツアー参戦となった岡本は、日本女子プロ選手権で周囲の期待通り2位に5打差をつけて優勝を果たしたが、その記者会見で異変が起こった。岡本が着席してしばらくの間、集まった記者たちは誰も口を開かずに沈黙が続いたのだ。


「何もないなら帰るわよ」


怒ったようにつぶやいたその声をきっかけに、ようやく会見が始まった。記者たちに質問したいことがなかったはずはない。それでも押し黙ってしまったのは、アメリカで実績を築いてきた岡本に対して、ある種、畏敬の念があってのことではなかったか。


引退後はテレビ解説などを務める岡本は、そこで若手プロたちに自身の経験からのアドバイスを送ることも多い。時には厳しい指摘もあるが、2020年の全米女子オープンでは日本人選手が19人も参加したことについて、「個人的にちょっとした満足感があります」と感慨深げに語ったのだった。


《文・脇本深八》
岡本綾子 PROFILE●1951年4月2日生まれ。広島県出身。ソフトボール選手として活躍した後にプロゴルファーを目指し、1974年にプロテスト合格。82年から米国女子ツアーに本格参戦し、87年には賞金女王に輝く。2005年に世界ゴルフ殿堂入り。