山本圭壱(C)週刊実話
山本圭壱(C)週刊実話

極楽とんぼ・山本圭壱インタビュー〜波瀾万丈の芸人人生〜

昨年11月、元『AKB48』メンバーの西野未姫さんとの年の差婚で話題になった山本圭壱さん。かつては超人気テレビ番組の出演者として、現在もチャンネル登録者数約50万人を抱える人気ユーチューバーとして活躍しているが、ここに到るまで、たいへんな紆余曲折があったことはつとに知られている。今回は山本さんの芸人人生を余すことなく騙っていただいた。


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――なんと言っても、まずは西野未姫さんとのご結婚おめでとうございます。


山本圭壱(以下、山本)「ありがとうございます。昨年11月22日、いい夫婦の日に入籍させていただきました」


――山本さんは54歳、西野さんは23歳と、31歳の年の差婚で話題になりましたね。


山本「でも年齢差は感じないんですよ、お互いに。最初会ってすぐべらべら喋ったりしたわけでもなく、番組ゲストに来てもらったりしているうちに、徐々に距離が縮まった感じですね」


――幸せそうで何よりです。さて、今日は芸人としての素顔を伺いたいんですが、まず芸能界入りのきっかけから教えてください。


山本「高校卒業後に地元の広島のショーパブでダンサーをやってたんです。上京して東京のショーパブで働いたんですが、レベルが違いすぎて挫折しました。それでオーディション情報誌を見て、佐藤B作さんの劇団『東京ヴォードヴィルショー』のオーディションを見つけて、受けて入ったという感じです」


――役者を目指していた?


山本「テレビタレントになりたかったんですよ。自分が進むべきは、お笑いだと。ただ、お笑いといっても、ダンスを取り入れたものとか、芝居がかったものが好きだったんです。『シティボーイズ』さんとか竹中直人さんとか、べシャリだけじゃなく、空間を使って起こす笑いが好きで」

いつしか“ヤマモト”と呼び捨てに

――なるほど、それで!

山本「研究生ということで毎日午前中に授業を受けてたんですけど、なんかちょっと違うなと感じてました。入ってすぐに一度テレビに出られるチャンスがあったんですけど、『1年待て』とストップをかけられたんですよ。それに対して『冗談じゃねえ、俺らテレビタレントになるために田舎から出てきたのに、なんで1年間も待たなけりゃダメなんだよ!』と吠えたのが加藤浩次です(笑)」


――加藤さんとは研究生同士だったんですよね。


山本「僕らは劇団に入ればすぐテレビに出て、何かをできるもんだと思ってたから、それが違ったんなら『(劇団を)もう出ようぜ』と。それで吉本の新人募集みたいな広告を漫画誌で加藤が見つけてきて、『じゃあ次は吉本だ』と。北海道から来た田舎もんと広島から来た田舎もんが東京で有名になるためだったら、ちょっとでも知ってる名前のところに寄っていくしかないですから」


――加藤さんとはすぐ意気投合したんですか?


山本「加藤は年が2個下で弟と同じだったから、最初は弟を連れて歩くような感覚でいたんです。当初は僕がネタを書いてたんですけど、どっかで加藤がネタを書くようになって、いつしか『ヤマさん』から『ヤマモト』って呼び捨てするようになった(笑)。それを僕が受け入れたのが早かったんですよね」


――弟みたい、という認識を改めた?


山本「そうですね。加藤が上にいくことによって、なんか心地良くなったんです。自分から引っ張っていくよりも、『こんなことやろう』って言われたことを受け入れるようになってから、すごく楽になりましたね」


――そんなお2人は深夜番組『とぶくすり』を経て、土曜夜8時に『めちゃ2イケてるッ!』(ともにフジテレビ系)のレギュラー出演者として1996年から全国区でご活躍されることになりました。


山本「土曜日の夜8時といえば『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)ですよ。僕が大好きで見てたあの『ひょうきん族』でも8年間なんです。『僕たちはそこまでやれるのか?』って不安の中でスタートしたのを覚えてます」

20代だけでやっている深夜番組

――当然、嬉しさもあったでしょうけど。

山本「もちろん。『ナインティナイン』や『よゐこ』は売れてたけど、僕らなんて東京ローカルしか出てないのに、よくレギュラーにしてくれたと思いましたね」


――同番組でブレークした実感ってありましたか?


山本「当時も今も『ナイナイの番組に出てましたね』って言われます。そういう認識だから、僕らがブレークしたって思ったことは1回もないんですよ」


――当時、どういった心境で番組づくりを?


山本「毎週火水っていうのは撮影で必ず押さえられていて、ナイナイは岡村(隆史)も矢部(浩之)も両日フル回転するんですけど、我々はレギュラーとはいえ、2日とも出る日もあれば、ネタによっては出ない日もある。言い方が難しいですけど、ウルトラマンで言うカプセル怪獣的な感じ。どうやって前に出るか、そればっかり考えてましたね。だから満足してなかったし、他の番組に出ていても、いつも『めちゃイケ』のことを考えてて」


――爪痕を残そうと、相当トンがってたんじゃ?


山本「トンがってるというか、みんな若かったんですよ。最初ナイナイとよゐこは21〜22歳、加藤が23で、僕が一番年上で25。スタッフも構成作家も20代しかいなかったんです。今考えると20代の子だけでやってる深夜番組をゴールデンに昇格させるなんて、みんな『そんなの上手くいくわけねえだろ』って思ってたんじゃないですかね」


――しかしその若さこそが『めちゃイケ』の魅力でした。「平成のひょうきん族」といわれるほどでした。


山本「タレントとして売れることも含めて、今のM-1みたいに『これに出たら売れる』なんて正解がなかったし、逆に正解だらけでもあった。作家や監督ととことん話して作り上げていきました」


――結局『めちゃイケ』は22年間続いて、テレビ史に残る番組になりました。


山本「そうですね。まあ僕はその間9年お休みしましたけど。芸能界に戻るのが2015年で、吉本に戻って本格的な再スタートが2017年からですから」


――不祥事、契約解除後の9年間はどんなお気持ちで過ごされたんですか。


山本「ちゃんと自分で幕を引いたわけじゃないから、もう一度戻って自分で幕を引けるんだったら引こうという気持ちしかなかったです。ただ、1年2年3年と経ったぐらいで、『これは長引きそうだな』と感じました」

松本・石橋からの金言

――もう諦めようとは思いませんでしたか?

山本「いつしか自分の座右の銘じゃないですけど『腐るな、諦めるな』みたいな言葉が芽生えてきました。とにかく錆びないようにしようと心がけてたのは間違いないです」


――無事に復帰されてブランクなどを感じたりは?


山本「ありました。『めちゃイケ』最終回で〝しりとり侍〟って企画をやったんですけど、めちゃイケのメンバーをはじめ、たくさん芸人さんがいる中で、もう物怖じしかできなくて…その時点で復帰して約3年、リハビリできてねえやと思いました」


――ショックですね、それは。


山本「一昨年、『ドキュメンタル』(アマゾン)に出たときに、あまりいい成績が残せなかったんです。その年が明けて松本(人志)さんに新年の挨拶メールを送ったときに、松本さんから『今年は遠慮しない山本が見たいです』という返信があったんです。それでぐんと両目が開きました。僕が休んでる間もずっとやっていた後輩たちや芸人仲間に対して、遠慮してる部分があったのかなと」


――休んでいた期間も含めて、焦りはないですか?


山本「焦りはないです。『とんねるず』の石橋貴明さんとは一度麻雀をしてからずっとかわいがっていただいてるんですけど、貴明さんから『川の流れに身を任せろ。力抜いてほっとけば必ず海に出れるから。流れに逆らって対岸まで行こうとか、上にのぼろうとはしなくていいから』と言っていただきました」


――それは、いい言葉です。


山本「僕が復帰したのが48歳のとき。ちゃんと40代をやってないなと思った。だから今54歳ですけど27〜28歳ぐらいの爪跡を残そうっていうハートを持ちながらもう一回40代をやってやろうという気持ちでいます」


――ご自身のYouTube『けいちょんチャンネル』も、そんな心境で?


山本「こないだ大阪の〝ひっかけ橋〟でディレクターと2人きりでロケしました。人混みの中でいきなり大声でタイトルコールしたり歌ったりして、ディレクターから『どういう心臓してるんですか』と言われました(笑)。周りが『こいつ誰?』ってなるあの感覚…これアリだな! と思いました。今は次の本のストーリーが始まるような気持ちですよ」


文/牛島フミロウ 企画・撮影/丸山剛史
山本圭壱(やまもとけいいち) 1968年、広島県出身。ショーパブ勤務を経て上京し、『東京ヴォードヴィルショー』に在籍。そこで加藤浩次と出会い、ともに吉本興業に入って『極楽とんぼ』を結成。深夜バラエティー番組に出演してブレークし、さらに『めちゃイケ』(フジテレビ系)出演で全国区の人気を得たが、2006年に活動休止に。活動自粛を経て、2014年に復帰ライブ、16年に地上波に復帰し、現在はユーチューバーとしても活躍している。