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中川家・礼二らと3日連続の寿司屋~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

島田洋七
島田洋七 (C)週刊実話Web

中川家の礼二は、いまでこそM-1審査員を務めてますけど、俺と出会った頃は、まだM-1の初代王者になる前でした。

吉本の社員から「中川家が関西の若手漫才師の中でイチ推しです。今度、新宿の朝日生命ホールの舞台に上がります」と教えられた。まずコンビ名にビックリしましたね。俺らはB&B、先輩だと、横山やすし・西川きよしさん、中田カウス・ボタンさんでしょ。「中川家」というコンビ名が斬新だなと思いましたよ。


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よくよく聞くと、兄弟漫才師なので納得しました。実際に会場で初めて漫才を見ると、若いのにしっかりとした漫才をやる子らだなと感心したものです。

当時、俺はなんばグランド花月の舞台で月に一度、漫才を1週間披露していた。姉弟子の今いくよ・くるよさんが中川家を可愛がっていたから、俺も礼二と出番が一緒のときは飯を食べに行くようになったんです。

あるとき、3日連続で礼二と飯に行くことになったことがありましたね。3日目は、笑い飯の哲夫もいました。俺は寿司屋が大好きだから3日間連続で寿司屋へ。1軒目の寿司屋で食べ終わり、2軒目は馴染みのおでん屋。そこでも飲んで食べて、時計を見ると夜の10時…。ホテルに戻って寝るにはまだ早い。俺も礼二も酒好きだから、もう1軒! となったんです。

でも、若手を連れてスナックへ行っても、上下関係がしっかりしている芸人の世界では若手が遠慮するばかりで面白くない。

「もう1軒、寿司屋へ行くか?」

「師匠、3軒目ですよ」

「文句言うな」

「もう食べれませんよ」

「茶碗蒸しでもなんでも食え!」

3人で海苔を頼み…

寿司屋のカウンターに座り、注文すると哲夫がエビを半分だけ口から出している。「飲み込まんかい」とツッコむと、「もう3軒目ですよ。入りませんよ」。「ぐっと飲み込め」。哲夫はお茶で流し込んでいましたよ。

礼二も食が進まないようだから「何か頼まんかい」と言うと、「大将、一番薄いネタはなんですか?」とおかしな注文をする。

「マグロでもイカでも薄く切れば薄くなるわ。お腹に溜まらんで薄いのは海苔しかないよ」

大将からそう言われ、3人で海苔を頼みましたね。

その店は、ミナミにあるおっちゃんとおばちゃんで切り盛りするこじんまりとした安くて美味しい人気店で、いつも混雑しているんです。でも、俺が電話すると、2階の座敷を空けてくれる。気取った店は得意ではないんです。景気の良かった漫才ブームの頃、打ち合わせを高級な日本料理屋でやることが多かったから飽きたんですよ。それに俺は酒も飲む。気取った店より、そういう店のほうが性に合うんです。

漫才師同士、特に後輩との飯の席では、漫才について質問攻めですね。「どうツッコんだらいいですか」、「どうボケたらいいですか」とかね。終いには「呼吸はどうしたらいいんですか?」まで聞いてくる。

「深呼吸せえ。そうしたらウケるかもせえへんやろ」

そう答えましたよ。

礼二も哲夫も漫才に熱心ですけど、漫才は教えてできるものではない。見てマネするものなんですよ。

島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。

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