(画像)fizkes/Shutterstock
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『昭和猟奇事件大捜査線』第45回「“謎の投書”で判明した妊婦の怪死…誰も思い至らなかった衝撃の真相」~ノンフィクションライター・小野一光

昭和40年代の春。四国地方某県にあるU警察署の受付に、U局の消印が押された封筒が届いた。その表には〈U警察署長殿〉と宛名が書かれている。


封筒の裏面に発信人の名前は書かれておらず、〈あの子は死ぬ時しあわせでした〉との文面があった。


受付嬢は直ちにその手紙を署長のもとに持参した。署長は手紙を開封して目を通していたが、次第に顔を強張らせていく。そして声を上げた。


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「刑事官、刑事第一課長を呼べ。それからすぐに全署員を参署させて、この手紙は鑑識課へ回せ」


手紙は鑑識課で綿密な観察、指紋の採取が行われた後で、刑事第一課長が改めて読み直す。


〈お世話かけます。S公園裏の山の女の死体は私が手をかけたものです。何卒よろしくお願いします。紫色のネクタイがあります。目薬の袋その他――かわいそうなのは僕ではありません。あの子がかわいそうなのです。何卒よろしくお願いします。僕も後を追いたいのですが今しばらく〉


そう書かれた手紙は、たどたどしい文字のペン書きで、それがかえって真に迫っており、虚偽の投書とは思えないものだった。


この手紙については県警本部にも報告され、U警察署と隣接署の2署から総勢200名の捜査員が駆り出されて、S公園の周辺を捜索することになった。


捜索開始から2時間後、捜査員の吹く警笛が山中にこだました。死体発見の合図である。場所は、山麓から約50メートル登った、松や雑木が密生した林の中だった。死体は、新芽の雑草の上に、体の右側を下にして横たわっている。

身元が分かる遺留品はなし…

死体の頭部には、黒地にえんじ色とピンクの小花模様の入ったネッカチーフがかぶせてある。それを取り除くと、顔の下には、木綿の白色ハンカチが敷かれていた。

年齢は見たところ20歳から27、28歳くらいで、身長155センチ、中肉の色白、丸顔で、首には男物の濃紺色のネクタイが深く強く食い込み、後ろ側の中央でしっかりと結ばれている。


着衣は水色のセーターに白のブラウス、紺のプリーツスカート。それにラクダ色のオーバーを着ており、白色の靴下に女物のダイアナシューズを履いていた。


さらに死体付近の捜索によって、催眠剤の空箱が2つ。カミソリの包装紙、ミルクチョコレート、清酒の空き瓶が発見された。


死体は現場での見分が終わってから解剖に回され、詳細に調べたところ、死因は窒息死で、死亡時間は前日の午前6時から10時ごろの間であると推定。妊娠3〜4カ月で、胎児は男子であることが判明する。


しかし、死者の身元が明らかになる遺留品は何もなく、死者が着ていたオーバーに入っていたネームは切り取られていた。ただ、オーバーとブラウスに、洗濯ネームの布片が付いており、これが唯一の手掛かりと言えた。


ただちにU署には捜査本部が設けられ、現場の模様、事件発覚の経緯、死体の状況などから、次の通りの捜査方針が立てられた。


○旅館、飲食店、駅弁屋、内海航路の船舶およびその食堂の捜査 ○現場付近の足取り捜査 ○洗濯ネームによる割り出し捜査 ○現場遺留品および被害者の着装品からの捜査 ○身体特徴に基づく捜査 ○投書に使用した封筒などの捜査


これらに基づいて、県内において捜査を強力に推進する一方、県外については、被害者の人相、服装、身体特徴、洗濯ネーム、被害者のモンタージュ写真を掲載した手配書を作成し、全国都道府県に配布して、捜査を依頼したのだった。


すると、1回目の投書があった5日後に2回目の投書が届く。封筒は1回目の投書と同じ物で、中にはS公園付近の図面が描いてあり、そこに「女の人が死んでいると、子供が旅行から帰っていってますから、調べてください」との文章があった。

事件が報じられていない地域

すぐに筆跡鑑定が行われ、1回目の投書と同じものであるとの鑑定結果が出る。ただ、通常ならばあるはずの消印がなく、切手の上に赤色鉛筆で「〒」の字が手書きされていた。

そのことについてU郵便局に問い合わせたところ、「〒」の字は配達員のAが書いたことが分かる。Aによれば、消印スタンプがもれていたため、手書きしたとのこと。なお、このように消印漏れが起きるのは、10万通に1通くらいの確率だという。


つまり、消印で投函場所を追跡する必要のある手紙にもかかわらず、この希少な偶然に当てはまってしまったのである。ただし、Aの説明では、この手紙の配達時間は、県外から送られてきた郵便物であるとのことだった。


これより前の段階で、S公園での女性の死体発見は、新聞各紙によって、県内では大きく報じられていた。しかし、手紙の内容からいって、投書者はそれを知らない可能性が高い。


そこで、新聞でこの事件が報じられていない地域について調べたところ、関西地方の一部に配られたものであることが分かる。それらの状況から、投書者、被害者ともに、関西地方の該当地域の者ではないかとの判断に繋がっていく。


一方で、被害者割り出しの唯一の手掛かりとも言える洗濯ネームについては、県内に取り扱い店がないことが判明。そこで、他府県への手配を行ったところ、P県警から有力な情報が寄せられた。


それは、「P市G区にあるクリーニング店で、手配書に似た洗濯ネームを使用している。しかし、現物を見なければ確認できない」というものだった。


そこで直ちに捜査員が、洗濯ネームのついたオーバー、ブラウスと、被害者のモンタージュ写真などの捜査資料を持って、P県へと向かう。


実は、オーバーとブラウスでは、洗濯ネームに書き込まれている人名らしき文字が異なっていた。オーバーには「浜田」、ブラウスには「沢」とある。


クリーニング店の店員は洗濯ネームを見るなり、両方とも自分の店の取り扱いであることを認め、オーバーはこの付近の「浜田」という名字の人のもの、ブラウスは近くのV町という旧町名の「沢」という名字の人のものであると説明した。さらにオーバーとブラウスをじっと見ていた店員は、記憶が喚起されたのか言う。


「この洗濯物を持ってきた人は同じ24〜25歳の女の人で、店に来たときに『風呂へ行く途中に来た』とか、『パーマ屋へ行った帰り』と言ってました」


すぐに捜査員がモンタージュ写真を見せるが、「似ているが断言はできない」とのことだった。そのため該当地域を捜査員が手分けをして、しらみつぶしに当たったところ被害者はP市G区D町の浜田露子(28、仮名、以下同)と判明する。

「妹が気の毒で自分も一緒に…」

彼女は実兄の浜田真一(33)とP市D町で一緒に住んでいたが、前年にP市の沢敏夫(33)と結婚し、現在は沢露子という名前になっていた。

その後、露子が結婚前に勤めていた食料品店の友人の証言や、通っていた歯科医院での治療記録などで、彼女が被害者であることが断定される。


そこで手配関係の照会を行ったところ、前月に彼女のおじである前田良明によって、「浜田真一が妹の露子を連れて家出した。保護されたい」との家出人捜索願が出されていたが、死体発見の4日後に同人から、「家出人が帰宅したから、解除してください」との届け出があったことが分かる。


そのことから、兄の浜田真一、おじの前田良明、夫の沢敏夫が捜査線上にあがってきた。


すると、おじについては、「(解除当日に)兄の真一から電話があり、『露子が病気で、いまL市の病院に入院させ、看病している』とのことだったため、それを信用して取り下げた」との証言が得られた。


また夫についても、妻の家出について傷心していたが、おじが警察署に家出人捜索願を出してくれたので、「重ねてお願いはしなかった」とのことだった。


おじと夫は、死体発見前後についてのアリバイが成立しており、手紙の筆跡が兄の真一のものと一致したことなどから、捜査本部は所在が掴めなくなっている真一こそが、犯人であると断定するに至った。


そして真一に対する手配が行われて4日後、おじの家に立ち寄った彼は逮捕される。真一の供述は次の通りだ。


「これまで妹とは血の繋がった兄妹として、互いに助け合って生きてきました。そんな妹が結婚し、結婚後も私を慕って、あれこれと面倒を見てくれる彼女をとても可愛がっていました」


そんな妹への殺害動機は、捜査関係者も驚く、痛ましいものだった。


「妊娠した妹がうちにやって来て、『経過診断をしてもらったところ、私には先天的な病気があると言われた。生まれてくる子供が、その病気を持っているとかわいそうだから、自分は死んでしまいたい』と言われ、妹が気の毒で、自分も一緒に死のうと思ったんです」


すっかり憔悴した姿の彼が語ったのは、妹を想うあまりの心中未遂。まず妹に手をかけ、自分は死にきれなかったというのが、この事件の真相だったのだ。
小野一光(おの・いっこう) 福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーに。『灼熱のイラク戦場日記』『殺人犯との対話』『震災風俗嬢』『新版 家族喰い――尼崎連続変死事件の真相』など、著者多数。