芸能

グラビアアイドル/西永彩奈インタビュー〜グラビア転機の“ちっぱい番長”「50本目のDVDで卒業を考えています」

西永彩奈
西永彩奈 (C)週刊実話Web

天然のA級が売りの西永彩奈。一昨年、某青年誌の企画では西の横綱を獲得(東の横綱は船岡咲)するなど、グラビア界屈指のちっぱい番長だ。現在27歳の彼女は今年で芸歴15年目と、ベテラン子役並みにキャリアはあるが見た目の幼さもあって付いた呼び名は「合法ロリ」。そんな彼女の「小さくない野望」について聞いた。


【関連】タレント/上西小百合インタビュー〜みんなが知らない“浪速のエリカ様”の真実とは… ほか

――彩奈さんは中1でグラビアデビューし、ジュニアアイドル(15歳以下のアイドル。通称ジュニドル)と呼ばれる時代を過ごした。当時はどんな環境でした?

西永 岡山に生まれた私は、芸能界に憧れて某芸能プロダクションが行うタレントオーディションに応募したんです。中国地方のラスト5人まで残ったものの、最後に落ちてしまいました。その悔しさがあり、最初は大阪の事務所に履歴書を送り、採用されてグラビアデビューをすることになりました。中学校ではソフトテニス部に所属していて、将来を期待されていたんですけど、週末には仕事があって東京や大阪に出ちゃうものだから、試合に出られず。周りからは「何かあるの?」と不審がられていましたね。芸能活動をしていることは親友にも内緒にしていたので…。

――バレたきっかけは?

西永 当時はまだ撮影会の仕事しかしてなくて、雑誌には載らなかったので誰にも気づかれなかったんです。ただ、毎日ブログを更新していて、学校で起こったことやプレゼントをもらってうれしい♪ みたいなことを綴っていたら、アメブロの中学生ランキングで1位になったんです。

――それはすごい。

西永 本名を名乗らず、1文字違いにしていたのですが、写真を見たら私ってバレる。1位になったことから問題になり、両親が校長に呼び出されました。「親御さんはこのことを知っているんですか?」みたいな。両親は応援してくれていたので、そのことを説明すると「学校側としても応援します」ということになり、ようやく友達にも話すことができたんです。

モテ期は中学生時代

――そうなると、男の子からは爆モテだったのでは?

西永 分かりやすいチヤホヤはありましたね。隣の中学校の男子が部活を覗きに来たり、校門の前で待ち伏せされたこともあります。告白も結構されたし…人生で一番モテたのはあの頃じゃないかなぁ。ただ、私には双子の妹がいて、私に告白してフラれた男の子は次に妹にも行ってたんですよ(笑)。順番が逆の場合もあって、「どっちでもいいんかい!」と思いましたね。でも、私たちは二卵性なので顔がまったく似てなくてタイプも違うんですよ。

――お姉さんの場合はアイドルだから、男たちが告白してきたのは理解できる。妹さんの場合は?

西永 私とは正反対の巨乳なんです(笑)。おまけに生徒会長だし。

――その妹さんは今何を?

西永 バリバリのキャリアウーマンとして営業職をしています。話題が姉妹のことになると「姉はグラビアアイドルです、と言うと食い付きがいいの。仕事を取りやすいから助かってるわ」と言われてます(笑)。

西永彩奈
西永彩奈 (C)週刊実話Web

――いわゆるジュニドルの活動はどうでした?

西永 12歳から水着を着て、児童ポルノの波をくぐり抜けてきた最後のアイドルだと思います。セクハラというか、大人の闇っぽいこともありました。子供だから分かってないと思うんでしょうね。頭をポンポンしてきたり、手をつないできたり。不意に抱きつかれたこともあります。子供みたいな扱いをしているけれど、いやこれ絶対に下心があるなって分かりますよね。ただ、「あのカメラマンは手を出してくるよ」と言われるような有名な人でも、私には一切そういうことをしてこないケースも多かったです。きっと、巨乳ちゃんが好きだったんでしょうね。

――ちっぱいの魅力って何だと思いますか?

西永 まず、胸が大きいと威圧感があるけれど、ちっぱいには親しみやすさがあります。

――なるほど。

人生を変えた“ちっぱい番付”

西永 グラビア界では希少価値もありますよね。A級やB級って、ものすごく少ないんです。

――それもあって「合法ロリ」と呼ばれてるわけですね。では逆に、ちっぱいで悲しかったことは?

西永 イメージDVDでは定番の、砂浜を走るシーンがほとんどない(笑)。

――揺れるおっぱいを撮るのが目的ですからね。

西永 あと、他のグラドルと楽屋が一緒になっても、胸を触ってこられないのは地味に悲しいです。

――やはり、巨乳に憧れた時代もあるんですか?

西永 それはありますよ。水着にパッドを入れていた時期もあります。少しでも谷間を作ろうと、寄せて上げてをしてみたり。でも、それは本来の私ではないし、ありのままの自分を受け入れてもらおうと考え方を変えました。そのほうがファンの方は増えたような気がします。今では、少しでも盛ったりするとファンに叱られますから(笑)。

――15年の中で、グラドルとしての転機があったとすれば何でしたか?

西永 3年前に受けた『サンスポGoGoクイーン』のオーディションです。それまで、番付もので言えば「グラドルパンチラ番付」で西の横綱、「ちっぱい美巨尻番付」では東の横綱、そして「ちっぱい番付」では西の横綱をいただきましたし、合法ロリと呼ばれてそれなりの知名度もあったと思いますが、冠がなかったんです。賞レースは苦手だったけれど、思い切って応募しました。このキャリアで出るというのは結構なプレッシャーでしたが…。

――そして見事、2代目のグランプリに輝いた。

西永 ライブ配信や撮影会での動員を競うという、目に見える数字で評価されるので、やり甲斐はありました。私なりに工夫をして、「何万ポイントになったら衣装チェンジします」とか、みんなで達成していくようなシステムにしたら、オーディション中にツイッターのフォロワーも3万人ほど増え配信で1位になれたんです。最初のプール撮影会では私を撮る人は少なかったのですが、目立つために競泳水着かスク水しか着ないようにしたら、ものすごく囲まれたりして。「私に求められてるのはこれなんだ」と再認識しました。

あざといチラ見せはNG

――合法ロリといわれてるからには、それを極めたほうがいいということですね。

西永 ところが、受賞の直後にコロナ禍に。当時、各賞に選ばれたメンバーとは授賞式のあと、2年後の卒業式でしか会えなかったくらいです。

――そこで始めたのがYouTubeですね。

西永 はい。家で撮れるものは何かと考えていろいろやったら、パンチラがバズったんです。フォロワーさんが1000人増えるごとに「お礼のパンチラ」をしたり。ただ、パンチラは奥が深いですよ。あざといパンチラはダメ。「これは見えすぎ」と怒られたり(笑)。私的にはカメラ目線じゃないのが一番エロいと感じます。普通に座っているのに、ちっちゃい三角ゾーンがチラッと見えてる感じ。

――最新のDVDがちょうど40本目ですが、オファーが途切れないのがすごい。

西永 とってもありがたいことですね。これだけ出していたら脱ぐしかなくなってくるんですけど、どうにか脱がずに来られました。手ブラもしてないしTバックも穿いてないんですよ。今後はラスト10本に向けて原点に帰るというか、ジュニドル時代のようなきれいな王道もので勝負したいと考えています。

――ラストとは?

西永 30歳までに50本を出して、そこで卒業にしようかなと…。

――最後に脱ぐ、という可能性もある?

西永 ないかなぁ〜(笑)。

――お、ちょっとは期待できそうですね。

西永 うふふ。

◆にしながあやな
1996年1月18日生まれ。岡山県出身。T154、B79・W57・H87。2022年6月美少女雑誌『Cream』の副編集長に就任。DVD最新作『ひみつの取材旅行』は竹書房から発売中。ツイッター@nishinagaayana

あわせて読みたい