島田洋七 (C)週刊実話Web
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間寛平と電気泥棒~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

しゃべりではなく、世界でも稀に見る動きだけで笑わせることができるのが間寛平です。他には、チャップリンやMr.ビーンくらいでしょうね。


寛平と出会ったのは、俺が吉本興業に入って梅田花月の進行係初日のことでした。進行係は新喜劇が始まる前にセットを組んだり、落語家さんの落語台を出したりするんです。寛平も新喜劇に入って半年か1年しか経ってない頃ですよ。


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幕が開くと同時に「配達に行ってきま〜す」と従業員役の寛平が台詞を口にすると、新喜劇が始まるんです。それ以降は一切、出番はなかった。舞台袖に戻ってきた寛平に「もう戻らへんの?」と尋ねると、「まだ入ったばかりやから、こんなんばっかやねん」。袖に戻ってきた寛平と毎日言葉を交わしていくうちに、だんだん仲良くなりました。


1週間くらい経った頃、「どこ住んでんの?」と寛平に聞かれたんです。当時、俺は住吉に住んでいて、寛平の家も近かった。「洋七の家に寄ってええか?」、「ええよ」。なんでも寛平は親に「新喜劇なんかに出るなら家に帰ってこんでええ。ちゃんとした仕事せえ」と叱られていて、家に居づらいようでした。昔は「芸人になる」なんて言おうものなら、そんなもんでしたよ。


俺は佐賀から家出同然で、嫁さんと飛び出してきたでしょ。当時はまだ結婚していなかったけど、4畳半に2人で住んでいたんです。俺の家に来た寛平と2人で「腹減ったな」と冷蔵庫を開けても何も入っていない。嫁さんが帰って来れば、なんかあるだろうと思って、駅まで嫁さんを迎えに行ったんです。嫁さんは経理の仕事で会社勤めしていましたからね。

大家に止められて…

嫁さんと帰宅すると〝チュッチュ〟音がする。ドアを開けたら寛平が冷蔵庫からマヨネーズを出して舐めていたんですよ。本当にお金がなかったから、冷蔵庫にマヨネーズとケチャップくらいしか入ってなかった。それを見た嫁さんがご飯だけ炊いて、ササッと焼き飯を作ってくれましたね。あのときの焼き飯は本当に美味かったな。

それから3カ月、寛平は3日に1度は泊まるようになってましたね。自宅に戻って親に怒られるのが嫌だったんでしょう。4畳半に3人でよく寝てましたよ。


いつものように寛平が俺の家にいると、急に電気がつかなくなったんです。「電気代払うのが遅れたから止められたかも」と嫁さん。そうしたら寛平が「俺は電気工事のバイトしたことあるから電柱から電気をつなごう」、「アホなこと言うな。そんなもん感電したらどうすんねん。しかも怒られるやろ」、「いや、大丈夫や」、「大丈夫やないねん」。


寛平は言っても聞かなくて、近所の金物屋で電線を買ってきたんです。ちょうど家の前の電線が低いところを通っていたから、俺が寛平を肩車して電線につなごうとしたら「あんたら何してんの? そんなことしたら感電して死ぬで」と家の裏にいた大家さんに怒られてね。「電気代を払い忘れていたんですよ」、「じゃあ、今から払いに来い」。支払うとすぐにつきましたね。


最近、ニュース番組で見たけど、発展途上国では電気を盗むとかあるらしいですね。昭和の日本で俺らもやろうとしてましたよ。
島田洋七 1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。