(画像)Stocksnapper/Shutterstock
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ガッツ石松「俺は挑戦者だもんな。倒すしかないんだ」~心に響くトップアスリートの肉声『日本スポーツ名言録』――第37回

「OK牧場!」を連発する天然キャラのタレントとして、また渋い演技の俳優として、長年にわたり芸能界で活躍してきたガッツ石松。もともとボクサー時代も派手な言動で知られ、世界王座に就く前から人気を博したスター選手であった。


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昨年9月に総合格闘家の朝倉未来を一蹴し、格の違いを見せつけたボクシング元世界5階級制覇のフロイド・メイウェザー。史上最強にも数えられる一人だが、そんなメイウェザーと同じく、WBC世界ライト級王座に君臨していたのがガッツ石松である。


ライト級は世界的に最も選手層が厚く、1886年に王座が創設されて以来、東洋人で初めて王座を獲得したのが石松だ。日本人が今ほど体格に恵まれていなかった時代、このクラスで世界王者になることは不可能だともいわれていた。


実際、石松以前に日本のジムから誕生した世界王者10人のうち、中量級以上は日系3世でアメリカ国籍の藤猛(1967年、スーパーライト級)と輪島功一(1971年、スーパーウェルター級)しかいない。


バラエティー番組でのイジられ役やクイズ番組での珍回答で有名な石松だが、WBCとWBAの2団体しかなかった時代、強豪がひしめくライト級で世界王者となり、2年にわたり5度の防衛を果たしたのだから、相当な実力者だったのだ。

練習嫌いが手応えを感じ心機一転

とはいえ世界王者になるまでは26勝11敗6分という平凡な戦績で、そもそも最初のプロテストでは不合格になっている。世界王者になる前にこれほど苦労したボクサーはなかなか見当たらず、少なくとも日本人選手で、世界王座戴冠までに10敗以上したのは石松だけである。

デビュー当初のリングネームは鈴木石松(本名は鈴木有二)。石松の名は清水次郎長の子分、森の石松にちなんでいる。浪曲に出てくる森の石松は、荒くれ者だが義理人情に厚く、仲間からは「バカは死ななきゃ治らない」と、からかわれるのが常だった。きっと若き日の石松も、そんなところがあったのだろう。


東洋太平洋王者だった1971年には、路上のトラブルから実弟を殴った15人のグループを相手に乱闘を繰り広げて、新聞沙汰にもなった。身内のためなら後先を考えないあたりも、森の石松を彷彿とさせる。


才能の開花に時間がかかったのは、練習嫌いによるところが大きかった。「ランニングに行ってくる」とジムを出た後、途中で水をかぶり、汗をかいたふりをして戻ってくることもあったという。そのため、試合途中でスタミナ切れを起こすこともしばしばだった。


1973年9月8日、石松にとって二度目となる世界戦では、そんな弱点が顕著に出てしまった。相手のWBA王者は〝石の拳〟と呼ばれたロベルト・デュラン。敵地パナマは高温多湿。強打を誇るデュランと相対して「10ラウンドで疲れて、自分から倒れてしまった」と、石松は正直に告白している。


ただ、当時のデュランはモンスター級の強さで、試合前は「3ラウンド持てば上出来」という声が圧倒的だった。想像以上の粘りを見せた石松は自身も手応えを感じたようで、この対戦から「技術的には決して勝てない相手ではない」と心を新たにし、毎日10キロのランニングを自らに課すことになる。

誰も予想しない結果に…

再起を期した石松に、チャンスは意外に早く訪れた。1974年4月11日、東京・日大講堂にWBC王者のロドルフォ・ゴンザレス(メキシコ)を迎え、三度目の世界戦が実現したのだ。

ゴンザレスも評価の高い王者だったが、5ラウンドあたりから攻勢に出た石松は、8ラウンドに入るとロープ際へ追い込みメッタ打ち。王者は前のめりに膝から崩れた。


さらに、起き上がったところに石松が追撃を加え、ショートの左アッパーで二度目のダウンを奪ったかに見えたが、そこでレフェリーは「スリップ」を宣告。なんと、王者の腕を引っ張って、無理やり立ち上がらせようとする暴挙に出た。


一説には、この試合後にゴンザレスとデュランの2団体統一戦が予定されていて、そのビッグマッチのためにどうしても負けさせるわけにはいかない――そんな関係者たちの意向が裏にあったともいわれる。


疑惑のレフェリングに石松陣営や観衆から怒号が飛び交う中、石松だけは冷静だった。「(露骨な王者びいきに)何度も頭の中で『WHY?』を繰り返した。そうか、俺は挑戦者だもんな。『倒すしかないんだ』と結論を出した」と、のちに当時のことを振り返っている。


そうして気持ちを切り替えた石松が、さらに猛攻を仕掛けると、キャンバスに沈んだゴンザレスが再度立ち上がることはなかった。


実はこの試合前、石松の勝利を予想する者は皆無に等しく、壮行パーティーの来客はたったの5人だったという。だが、この勝利により石松は国民的ヒーローとなり、試合後に両腕を突き上げた姿は「ガッツポーズ」と呼ばれ、広く一般に親しまれることになる。


また、ガッツポーズの由来が大流行していたボウリングで、「ストライクを取ったときのポーズ」とする説もあるが、当時を知る者からすれば紛れもなく石松の活躍によって周知された言葉であった。


現在、石松の事務所には「頑張り続ける底力のある奴だけが、最後に最強な運を手にすることができる」との言葉が飾られている。


《文・脇本深八》
ガッツ石松 PROFILE●1949年6月5日生まれ、栃木県出身。中学卒業とともに上京、職業を転々としながらボクシング修行を続ける。1966年にプロデビュー。74年にWBC世界ライト級王座を獲得し、5度防衛。生涯戦績51戦31勝(17KO)14敗6分。