工藤あやの(C)週刊実話
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『令和の“応演歌”』工藤あやの~デビュー10年目まだ発展途上(後編)

――28歳と若いにもかかわらず、1月29日でデビュー10年目に入ります。それに先立ち8枚目のシングル『洗ひ髪』を1月18日にリリースしました。中編では、同曲について解説してもらいましたが、デビューからの9年間を振り返り、ぴったり当てはまる言葉は何かありますか?


【関連】『令和の“応演歌”』工藤あやの~演歌歌手のユニット『みちのく娘!』が転機に(中編) ほか

工藤 『喜怒哀楽』ですかね。たくさん悩み、考え、わがままに生きてきました。前回も少し触れましたが、デビュー当初、歌手デビューして本当に良かったのだろうか、と不安を抱いていたんです。またキャンペーンで各地を訪れても、お客様が少ない時期もありました。どうしても人数で判断してしまっていた私がいた。


そんなとき、母親に電話で悩みを打ち明けると、「あやはいつでも帰ってきていいんだよ。ただ、お前の歌を1人でも聴きに来てくれるお客さんがいるなら、その1人の方を大切にしろ。1人が2人にと、だんだんお前を好きになってくれる人が増えていくから。あやは母ちゃんの娘だから頑張れ」。そう励ましてもらい、気持ちが楽になりました。いつでも帰っていいんだなって。


――他にも、転機になった出来事はありますか?


工藤 やはり、『みちのく娘!』という東北出身の女性演歌歌手だけで結成したユニットの活動で自信がつきました。しかし、その後、コロナ禍に入ってしまった。ワクチン接種もまだ始まる前に、私は新型コロナ感染症に罹ってしまったんです。呼吸も苦しく、入院したくても、もっと重篤な患者さんがいらっしゃったので、自宅で1人、怯えながら過ごす日々でした。


そのときに、ふと考えたんです。「人生、これで終わっていいのか?」と。このまま終わりたくないから、もっと演歌を頑張らなければと覚悟を決め、ようやく本腰を入れました(笑)。

イモからの成長が…

――デビューして6〜7年、演歌で生きていくと決めていなかったんですか!?

工藤 私の中で、演歌歌手で生きていこうとしっかりと定まったのは、2020年なんです(笑)。


――それは意外です。今後、どんな歌手を目指していますか?


工藤 この世に名を残したい。日本だけでなく、世界に挑戦したい気持ちがあります。私がどんな曲を歌うのか興味を抱いてくれた方の前で歌っていきたいです。場所もお客様の人数も問いません。たとえ道端でも、田んぼでもいいんです。


――最後に、師匠の弦哲也さんの言葉で心の支えとしているものはありますか?


工藤 デビュー当時は「昭和の薫りがする声」と言われ、故郷を想うような曲を歌っていました。オーディションのときに弦先生から「君は磨けば光る原石だ。でも、磨かなければ泥のついたまま。今後、どうするかは君次第だよ」と言われたんです。「今はどうですか?」と弦先生にお聞きしたところ、「今は土のついた芋だな(笑)」。デビューして数年後に「芋ではなく、玉ねぎにはなりましたかね?」と尋ねると、「まあ、なったんじゃないか」と。


玉ねぎは、表面に泥がついていても剥けば輝くじゃないですか。つい先日もその話になり、「スイートポテトくらいにはなったんじゃないか」とおっしゃっていたんですが、心の中では、また芋に戻ったと思いましたね(笑)。
くどう・あやの 1994年5月7日生まれ。山形県山形市出身。2014年1月『さくらんぼ 恋しんぼ』でデビュー。今年1月18日、8枚目シングル『洗ひ髪』をリリース。「昭和の忘れ物」と称される声の持ち主。