島田洋七 (C)週刊実話Web
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アメリカで二度の“ドッキリ”~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

漫才ブームの頃、B&Bはコマーシャルが9本あったんです。新しく車のコマーシャル撮影をアメリカでするというので、ロサンゼルスへ渡米した。空港からキャデラックに乗せられ、片言の日本語をしゃべる運転手さんとラスベガスへ向かうことになったんです。


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現場までは5〜6時間かかるという。そこで道中の田舎道にあったレストランで休憩を挟むことになったんですよ。スパゲティとスープを注文すると、「今日はロケがないですから、ビールを1杯どうですか?」とマネジャーに勧められ、俺と洋八は1杯ずつ飲んでいた。


すると、店内に警察官が入って来て、俺らに何か告げているんだけど、英語は分からないでしょ。どうやら「この州では、昼間に酒を飲んではいけないから逮捕する」と言っているらしい。通訳の方がそう訳してくれましてね。


「外に出ろ」と命令され、レストランの近くにあった牧場の柵に洋八と俺は片手を手錠でつながれたんです。生まれて初めて手錠なんて掛けられたからビックリしましたね。警察官は「100ドルの罰金だ。ここで待ってろ」と言い残し、どこかへ行ってしまった。マネジャーも「私が勧めたばっかりにすみません。ちょっと電話してきます」。まだ携帯電話のない時代だから、マネジャーは公衆電話を求め、姿を消したんです。


洋八と2人で不安がっていると、牧場の遠くの方から20頭くらいの馬と跨ったインディアンが俺らの目の前に来て、また英語で話しているんですけど、何をしゃべっているのか皆目、見当がつかない。でも、耳を澄ませて聞いていると、たまに日本語が交じっている。「見たことあるな」「コメディアンだろ」とかね。

お詫びのスロットまでも…

しばらくすると、最後尾の馬に乗ったインディアンが俺らの前に来て、「ドッキリ」の看板を見せるんですよ。そのインディアンをよ〜く見ると、なんと俳優の宍戸錠さんでした。

「アメリカまで来てドッキリにひっかけるんですか」


「ごめん、ごめん。大成功」


そこから2時間ほどかけて、実際にラスベガスへ行ったんです。ホテルに到着すると、番組スタッフが「先ほどはすみませんでした」と謝り、日本円で1人3万円分をコインに替えて「カジノで遊んでください」と手渡されたんです。「初心者にはスロットマシンが良いですよ」と促され、楽しんでいると、突然の大当たり。


コインがどんどん出てくる。片言の日本語をしゃべるカジノのスタッフが駆けつけ、「日本円にしたら1億円ですよ」。「2人で半分ずつ分けて、事務所にもなんぼかあげような」と洋八と喜んでいると、スロットマシンの裏側からドッキリのカメラが出てきたんです。


まさか二度もドッキリにひっかかるとは思わないでしょ。後日、スタジオで収録があり、VTRを見ると、スロットマシンの裏側からバケツにコインを入れて、直接出るようになっていた。収録が終わると、宍戸さんが東京・代々木のレストランでご馳走してくれたんです。宍戸さんは日活のアクション映画で大活躍していたでしょ。当時の話もしてくれましたね。カッコよかったですよ。


それにしても、昔の番組はお金を掛けていましたね。
島田洋七 1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。