昨年大みそかの『第73回NHK紅白歌合戦』に、全出場歌手の中で最多の35回目の出場を果たした郷ひろみがジャニーズに所属していたことを記憶している人は少なくなっているのではないか。
後に本人が明かしたところによると、落選した映画のオーディション会場で出会った当時のジャニーズ事務所社長・ジャニー喜多川氏に惚れ込まれてスカウトを受け、超VIP待遇でジャニーズ入りしたという。
俳優としてデビューを果たしたが、1972年8月『男の子女の子』で歌手デビューを果たすと一躍トップアイドルに。しかし、順調に〝スター街道〟を駈け上がっていた最中の1975年4月にジャニーズ事務所を退所。当時、他の大手事務所など、選択肢がいくらでもあった中、設立4年目の新興「バーニングプロダクション」を選択し、移籍した。
「退所した当時、郷はまだ19歳。今となってはジャニーさんの〝性的嗜好〟は世に知れ渡っているが、当時はまだ業界内でしか知られていなかった。郷は、ジャニーさんの〝過度な寵愛〟に耐え切れなかったとされています」(ベテランの芸能記者)
郷の移籍をバネに急成長
絶世の美少年だった郷に逃げられたジャニー氏は、しばらく悲しみに暮れ、体調を崩すほどのショックを受けたというが、郷にかわる人材を発掘すべく、スカウト活動に力を入れ、次々と新たなスターを生み出した。
「郷が退所した当時のジャニーズ事務所は、まだ会社組織にもなっていない時代。そういう意味では、郷に去られたことが、現在のジャニーズ事務所の隆盛につながったとも言える」(同・記者)
一方、ジャニー氏と袂を分かつ決断をした郷は、歌手以外にも、俳優やバラエティータレントとして活躍。1984年に発売したシングル『2億4千万の瞳』は後世まで歌い継がれる郷にとっての代表曲となった。3年ほどのニューヨークでの〝充電期間〟はあったものの、現在まで日本の音楽界の第一線で活躍を続けている。
「もはや、ジャニーズタレントの中にも郷が所属していたことを知らないタレントも多い。ジャニーズ事務所が今ほどの力を持っていなかったこともあり、郷は干されることもなく、現在でもジャニーズタレントとの共演にNGはない。退所を決断するタイミングが早かったことも、その後の活動に悪影響を与えなかった要因。逆に、郷というスターを獲得したバーニングの社長は、その後〝芸能界のドン〟と呼ばれるまでに力を持った」(同・記者)
郷も、ジャニー氏への感謝を口にし、2019年7月に同氏が亡くなった際には、「僕の原点はジャニーさん」とコメントしている。
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