長嶋茂雄「わが巨人軍は永久に不滅です」~心に響くトップアスリートの肉声『日本スポーツ名言録』――第33回
〝ミスタージャイアンツ〟どころか〝ミスタープロ野球〟と言うべき存在の長嶋茂雄。現在に至る日本のプロ野球の隆盛は、長嶋を抜きにして語ることができない。まさに「記録よりも記憶に残る」を体現した希代のスーパースターだ。
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戦後日本における最大のスターの一人として、いまだ一挙手一投足が話題になる長嶋茂雄。「巨人は嫌いでも長嶋だけは嫌いになれない」というプロ野球ファンはきっと多いだろう。
かつては「野球といえば東京六大学」という時代があった。現在の日本野球機構の前身、日本職業野球連盟は1936(昭和11)年に誕生しているが、戦後のしばらくまで六大学こそが野球の花形であり、職業野球はどこか低俗なものと見られていた。「スポーツでカネを稼ぐことなどけしからん」という世間の風潮があったのだ。
しかし、そんな状況を一変させたのが立教大の長嶋だった。当時のリーグ記録となる通算8本塁打を放ち、さらには華麗な守備で鳴らした長嶋は、六大学きってのスター選手であったが、1957年に読売巨人軍への入団が決まるとマスコミは大騒ぎ。これで一気に六大学からプロ野球へ、ファンの目が移ることになったのだ。
多くの注目を集めて迎えた開幕の国鉄スワローズ戦。長嶋は相手エースの金田正一に、4打席連続三振を喫する。金田が投じた全19球のうち、バットに当たったのはファール1球という完敗だったが、それでも見逃しのストライクは2球のみ。鋭いスイングはその後の活躍を期待させるに十分で、長嶋自身も「決して悲観はしていません。今度はヒットでお返しします」と、新人らしからぬ強気のコメントを残している。
無類の勝負強さはスターの証し
その言葉通りにルーキーイヤーは29本塁打、92打点で二冠を獲得。打率も2位の3割5厘で堂々の新人王に輝き、リーグ優勝に大きく貢献してみせた。長嶋は安定した打撃で好成績を残すだけでなく、悪球を無理な体勢から打ち返すなどの意外性や、1959年の天覧試合でサヨナラ本塁打を放ったような無類の勝負強さで、かつてない熱狂を巻き起こした。また、当人が「打撃よりも好き」と公言していた守備においては、投手や遊撃手の守備範囲に飛んだ打球まで横取りするほどの躍動感を発揮し、「盛り上げようと思って、何でもないゴロを難しそうに捕ったりしたこともありました」と述懐している。座禅を組んだり、日本刀で素振りをしたり、求道的な振る舞いがもてはやされていた時代にあって、長嶋は観客に対するサービス精神を持ち合わせた希有な選手だった。
ただし、巷間で取り沙汰されるエピソードや発言については、かなりの部分が脚色されているという話もある。長嶋ほどのスターとなれば取り巻きの記者も多くいて、例えばインタビューなどでも「国民的スター像を演出する」ために、長嶋のちょっとしたひと言を名調子に作り直していたというのだ。
現役引退後に出回った天然エピソードにしても、芸人などに創作されたものは多い。そのため、どこまでが真の姿か図りかねるが、幻想が付きまとうのもスターの証拠と言えよう。
1974年10月14日、中日ドラゴンズとのダブルヘッダー。すでに中日のリーグ優勝は決まっていたが、この2日前に引退を表明した長嶋の最後の雄姿を一目見ようと、後楽園球場には超満員の観衆が押し寄せた。
努力を表に出す選手はプロ失格
第1試合では通算444本目の本塁打を放ち、試合後には観客に手を振りながら外野を一周した。そして第2試合の後に行われた引退セレモニーでの言葉は、今も多くの人々の記憶に残るものとなった。「昭和33年、栄光の巨人軍に入団以来、今日まで17年間、巨人並びに長嶋茂雄のために、絶大なるご支援をいただきまして、誠にありがとうございました」
このように語り始めた長嶋だが、これは事前に広報担当者が用意して渡していた挨拶文とは、まったくの別ものだった。長嶋は引退のおよそ1カ月前から、自分の言葉で引退への思いを伝えるために、知人に相談しながら原稿を準備していたのだ。
「私は今日、ここに引退いたしますが、わが巨人軍は永久に不滅です!」
およそ3分半のスピーチを終えると、長嶋は満員の観衆に深々と頭を下げた。
なお、この〝本番〟の前には「最後の言葉が子供たちに理解できなければ意味がない」との考えから、とある小学校の野球チームのメンバーを集めて予行演習までしていたという。
現役時代の長嶋は、高度なパフォーマンスを実現するために猛練習をしていたにもかかわらず、「努力していますと練習を売り物にする選手は、プロフェッショナルとは言えない」との考えから、そうした姿を一切表に出そうとしなかった。それと同様に、引退スピーチの裏でもしっかり努力をしていたわけである。
なお原稿では「永久に不滅です」ではなく「永遠に不滅です」だったことが後に分かっている。これが単なる言い間違いだったのか、それとも野生の勘でとっさに言い換えたアドリブだったのかは、本人のみぞ知るところだ。
《文・脇本深八》
長嶋茂雄 PROFILE1936年2月20日生まれ。千葉県出身。佐倉一高から立教大を経て巨人に入団。勝負強い打撃とスピード感みなぎる守備でファンを魅了し、引退後は2期にわたって巨人の監督を務めた。
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