愛甲猛/江本孟紀(C)週刊実話
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江本孟紀 愛甲猛インタビュー①〜プロ野球 苦言・提言・あの事件の真実〜

球界を代表する話し上手で、忖度なし、直言居士のお二人が、昨今のプロ野球トレンドから球史に残る名選手の素顔まで、さまざまな切り口で爆笑トークを繰り広げる豪華対談。新春ならではの仰天エピソードを一挙公開します!


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――2022年のプロ野球界ではノーヒットノーランが何度も出るなど、投高打低の傾向が強まりました。


江本孟紀(以下、江本)3割打者はセ・リーグ4人、パ・リーグ2人だけど、規定投球回数に達した投手もセが10人、パが9人と多くはないね。


愛甲猛(以下、愛甲)両リーグとも、昨年よりホームラン数が減りました。


江本 30本塁打以上はセ2人(村上宗隆、岡本和真)でパ1人(山川穂高)。筋肉を付けて振り回しても30本打てないんだよ。


愛甲 フライボール革命がアマチュアにも浸透しているけど、メジャーでブームが去りつつある通り、確率の低いスイングですね。村上があれだけ打ったのはコンタクト率が高いからです。あと、佐々木朗希がメジャーでも未達成の2試合連続完全試合に、あと1イニングまで迫って交替したのも、僕には疑問でした。メジャーは個人の記録を大事にするし、プロって子供たちに夢を与える仕事なのに「ケガするから止める」ってどうかなと…。


――愛甲さんは535試合連続全イニング出場記録保持者でしたが、江本さんもケガをしなかったですよね。


江本 ケガする前に辞めたから(笑)。今の首脳陣は投手を何歳まで投げさせたいんだろう。首脳陣が何球投げたら壊れるかを証明してくれないと。「壊さない、大事に」という風潮の弊害だね。あらゆるスポーツで唯一、昔より記録が下がっているのが野球のピッチャーだよね。俺は6年連続200イニング投げたけど、あの時代は「壊れたらクビ」で、選手もそれでよかった。ケアや治療、試合前の準備も頭を使ってやってたよね。それでダメなら二軍に落とされる。


愛甲 金田(正一)さんを筆頭に、昔の投手の投げ方って理にかなっていて、故障する投手はそういう投げ方でした。マー君(楽天・田中将大)が24連勝した2013年に、日本シリーズ第6戦を完投(敗戦)後、「また投げさせてくれ」って言い放ったのはさすがにプロの矜持だなって。


江本 その通り。壊れない投手は壊れない投げ方をしているよ。佐々木のフォームを見ていても壊れそうにないね。

一流選手は下半身を鍛える

愛甲 一抹の不安はボールのシュート回転です。

江本 それは投手としてはダメ。最近、シュート回転を「ボールが動いた」なんて褒めている解説者もいるけど、投手って真っすぐがいい回転で、かつシュート回転しないことが大事なんだ。手を放す位置や握りが悪いわけで、それを直せばいいんだけど、そういう技術屋がいないよね。


愛甲 いい投手の共通点って、ストライク率が低いことなんです。逆に打たれる投手ほどストライク率が高い。勝っている投手のチャートを見るとボール球を振らせています。


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江本 1973年の阪急とのプレーオフ第5戦、あと1人で優勝というとき、急きょリリーフでマウンドに上がってね。代打本塁打記録の高井(保弘)さんに6球投げて、1球もストライクを放らずに三振。投手人生で唯一だったけど、ボール球を「振らせる」のがベストだよ。現役当時、配球はすべてノムさん(野村克也)の言う通りだった。とはいえ外角に構えられても半分は内角に投げたけど(笑)、それは一つの作戦でもあった。俺がストライク入らないとノムさんはど真ん中に構える。すると外角ギリギリに行く(笑)。


――当時は選手も個性派ぞろいでした。


愛甲 村田(兆治)さんやオチ(落合博満)さんは、練習内容やタイプが違うけど、やるべきことを黙々とやってましたね。有藤(通世)さんのティー打撃には近寄れなかったです。


江本 鈴木啓示も練習量はすごかったし、村田のマサカリ投法なんて下半身を鍛えなければできない。俺も当時は腹筋や背筋を500回ぐらいやってた。半分寝ながら(笑)。みんなレギュラーの練習を見て、自分に取り入れたんだ。金田さんによく言われたよ。「投げろ走れと、みんな俺のことを言うけど、投げ込んで壊れる投手に投げ込みをさせたり、走り込んで足腰が壊れるヤツに走り込みをさせたことはない」と。さすがだと思ったね。昔の練習方法を否定するなら、401勝しないと説得力に欠けるよ。


愛甲 ホントです。今、YouTubeとか見ていると上半身や手の使い方ばかり教えていますが、プロの基本は下半身を鍛えること。一流選手は投手も打者も下半身を鍛えています。


江本 下半身を鍛えるには走るしかない。いくら自転車をこいでもダメ。美容にはいいけど(笑)。

〝規格外〟の金田正一伝説

江本 そういえば、金田さんには「400勝の俺と100勝のおまえでメシを食うの、おかしいだろ」なんて言われたね(笑)。

愛甲 ロッテの監督時代、試合前に僕が特打していたら「わしが投げたる!」と。金田さんは当時60代だったと思いますが、きれいなボールでした。気持ちよくスタンドへ放っていたら、いきなりボールが頭に向かってきて…。夏場なのでノーヘルなのに「よける練習せい!」と言われました。


江本 現役当時を思い出したのかもね(笑)。


愛甲 西武球場で園川(一美)がボークをしたとき、金田さんが「どこがボークじゃ!」と球審を蹴飛ばして退場になり、1カ月の謹慎処分を食らいました。でも、その後のミーティングで「今回の一件は園川、おまえが一番悪い! この殿堂入りのワシに、あんな真似をさせおって!」ですよ。園川は小声で「あんたが一番悪いじゃねぇか」と。謹慎期間はベンチに入れないんですが、金田さん、ほっかむりをしてバックスクリーンの小屋に入り、黒電話でベンチとやりとりしているのを主審に見つかってました。


江本 金田さんらしいね。


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愛甲 選手交代では主審に「ピッチャーあいつ、キャッチャーこいつ」って、選手の名前を覚えない(笑)。別の試合で園川がピンチを迎えたときも、金田さんが「ダメじゃ!」とベンチを飛び出して、主審に「監督、ラインをまたいだら交替です」って。その前に捕手を呼んでいたので、マウンドに行ったのと同じで二度目と見なされるんですけど、金田さんは「何! 誰が決めた! わしゃ知らん!」と言ってました。


――ワハハハハ!


愛甲 別の試合で、相手チームのビーンボールに怒った金田さんが、キャッチャーの福澤(洋一)に「顔に行け、顔に!」と大声で指示を出したんです。主審が「(監督を)何とかしろ」と言うや否や、福澤が「お願いですから(監督を)退場にしてください!」と。


――江本さんは野村さん、愛甲さんは落合さんと、お二人とも現役時代に名バッターから指導を受け、プロとして大成されました。


江本 ノムさんは東映時代の僕のブルペンを見ていたそうで、初めて会ったときに「俺が受けたら10勝できる」と言われた。プロで1勝も挙げてないのに感激したのを覚えている。南海移籍後の最初の登板では、阪急の山田(久志)と延長13回を投げ合ったけど、すごいボールだった。バットがかすらない。アンダースローであんなに速い投手いなかった。


愛甲 若い頃に打てたらいいな、と思ったのが山田さんや東尾(修)さん。子供の頃にテレビで見てた大スターでした。プロ初ヒットは運よく山田さんから打てたけどマウンドの立ち居振る舞いも格好よかったです。


江本 山田との試合はサヨナラ負けしたんだけど、帰りのバスでノムさんがチーム全員に「いいか、おまえら、今日の試合を忘れるな。次回は勝たせろ」と言ってくれた。ノムさんに褒められたのはこのときだけ。引退後は江夏豊、門田博光とともに「3悪人」なんてね。

〝野球人〟野村と落合の素顔

――江本さんの新著を拝読しましたが、改めて野村さんのすごさがよく分かりました。

江本 名将といわれたけど、阪神の監督時代、解説の僕がノムさんの采配を批判したら、「おいエモ、どこに使えるピッチャーがおるんや!」なんて、えらい剣幕で怒られたこともある。監督生活24年でリーグ優勝5回、貯金はわずか2つ。阪神で失敗したなぁ。


――お互いに本音を語る間柄だったんですね。愛甲さんも落合さんの指導により、ロッテの顔となりました。


愛甲 プロ4年目に「ピッチャーよりもバッターのほうが長持ちするし、稼げるぞ」と言われて決意しました。当時は図々しく「責任取ってくださいよ」なんて抜かしましたが、それはともかく、春季キャンプ初日から丸めた新聞紙をボール代わりにしてトスバッティング。それまで誰にも教わったことがなかったけど、ひじや腰の使い方を体が覚えて、みるみるうちに上達しました。ここから弟子になったんです。


――落合夫妻には相当かわいがられたそうですね。


愛甲 一緒に食事をすると、信子さんに「愛ちゃん、これ食べな」と言われ、酒を飲みながらジンギスカンや魚、お茶漬けなどを大量に食べて、締めはラーメン。福嗣君が生まれる前で「養子になれ」なんて言われたこともありました(笑)。


――江本さんは「世界の王貞治」が最も苦手にした投手でもありました。


江本 王さんには特別な思いがあったね。バットの出が速いし、怖かったから逃げまくった(笑)。南海時代、ノムさんに相手を研究するクセを叩き込まれたんだ。「短所がない場合は長所を探せ。見えない短所は長所のすぐそばにある」と言われてね。長所である一本足打法のタイミングを外すことで、凡打の山が築けた。ノムさんに教えてもらったおかげですわ。


――次号ではお二人に「プロ野球界の番長」について語っていただきます。よろしくお願いします!


→次号へつづく


(構成・文/小川隆行 撮影/内海裕之)
えもと・たけのり 1947年7月22日、高知県生まれ。高知商、法大、熊谷組を経て1971年に東映入団。同年に南海へ、76年には阪神へ移籍し、81年に現役引退。プロ通算113勝をマーク。92年に参議院議員初当選。『プロ野球を10倍楽しく見る方法』など著書は82冊を数える。最新刊は『野村克也 解体新書 完全版』。YouTube『エモやんの、人生ふらーりツマミグイ』に出演中。あいこう・たけし 1962年8月15日、神奈川県生まれ。横浜高校のエースとして1980年に夏の甲子園で全国制覇。同年秋にドラフト1位でロッテ入団。3年間の投手生活の後、落合博満に鍛えられ打者に転向。96年に中日へ移籍後は代打の切り札として活躍する。現在はアマチュア野球指導をしながらYouTube『愛甲猛の野良犬チャンネル』に出演中。