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岡部幸雄「ルドルフに競馬を教えてもらった」~心に響くトップアスリートの肉声『日本スポーツ名言録』――第32回

Melissa Schalke
(画像)Melissa Schalke/Shutterstock

中央競馬で通算2943勝(うちGI37勝)、海外や地方を含めれば通算2981勝を挙げた岡部幸雄。完璧な騎乗で多くの後輩騎手に影響を与えたレジェンドだが、そんな岡部が心酔した名馬が〝皇帝〟シンボリルドルフだ。

2005年3月10日、岡部幸雄は56歳にして騎手免許を返上した。目前に迫った通算3000勝を期待する声もあったが、引退会見では「自分の体が動かず、思っていることができない。これでは勝てる馬を勝たせることができず、馬に迷惑がかかる」と、その理由を語った。

若き日のアメリカ遠征時、現地の競馬関係者による馬と同じ目線に立って馬の気持ちをくみ取る「馬優先主義」に感銘し、日本においても馬の将来を見据えた育成、調教、レーススタイル、ローテーション管理を行うことを提唱してきた岡部ならではの弁だろう。

会見から10日後の同月20日には中山競馬場で引退記念セレモニーが行われ、ファン投票による「岡部騎手優勝レースベスト10」が発表された。

1位に選ばれたのは1992年のジャパンカップ、トウカイテイオー。これを聞いた岡部は「ルドルフが1位かと思ったらトウカイテイオーなんで意外でした」と話している。

ルドルフとは、もちろんトウカイテイオーの父でもあるシンボリルドルフ。無敗のクラシック三冠とGI七冠は、いずれも当時史上初で、その強さから〝皇帝〟と称された名馬である。なお、このときのベスト10で、ルドルフが勝った1984年の日本ダービーは4位に選ばれている。

単勝1.3倍の圧倒的1番人気で迎えたレース、向こう正面で岡部がゴーサインを出したが、ルドルフはまったく反応しない。異変を感じた観客が騒然とする中で、ルドルフは直線に入ると自ら加速を始め、先行するスズマッハ、フジノフウウン、スズパレードらをゴール前できっちり差し切ってみせた。

ルドルフは飛び切り上等の外車

のちに岡部は「ルドルフに競馬を教えてもらった」と、このレースを振り返っている。

岡部は調教で初めてルドルフに騎乗したときから、何か他の馬とは違う雰囲気を感じていたそうで、新馬戦で快勝した際には「ルドルフは外車も外車、それも飛び切り上等の外車だ」とコメントしている。

84年にそれまで所属した鈴木清厩舎を離れてフリーになったのも、もしも自厩舎の馬とルドルフが同じレースに出ることになった際、自厩舎の馬を優先しなければならないという事態を避けたかったのが大きな理由だった。

この時期の岡部はすでに数々の重賞を制しており、アメリカやヨーロッパなどで武者修行も経験したトップジョッキーの一人で、ある程度は自分の要求を通せる立場だったに違いない。それでも「ルドルフに乗れなくなることだけは避けたかった」というくらいだから、岡部の惚れ込みようが分かる。

そんなルドルフと共に挑んだ最初のクラシックレース、皐月賞を勝ったときの記念撮影で、岡部は取材カメラに向かって人さし指を突き立てた。三冠のうち、まずは一冠を獲得という意味である。そして、その後のダービーでは2本指、菊花賞では3本指を誇らしげに掲げた。

菊花賞は2着ゴールドウェイの追撃をかろうじて4分の3馬身しのいだ辛勝のようにも見えたが、これについても岡部は「どこまで行っても差は詰まらない」「何馬身も離すことはないと、最初から教え込んでいますから」とレース後に話している。それほどにルドルフへの絶対的な信頼があったのだ。

日本競馬史に残る名実況

1985年12月22日の有馬記念は、翌年からの海外進出が計画されていたため、国内におけるルドルフ最後のレースとなった。ライバルには1歳下で皐月賞、菊花賞の二冠を制した〝シンザン最後の最高傑作〟ミホシンザンもいた。

この年のルドルフは春の天皇賞と直前のジャパンカップでGI勝利を飾っていたが、宝塚記念はレース前日に転倒して出走回避。秋の天皇賞では大外枠の不利を無理に巻き返そうとしたとはいえ、13番人気のギャロップダイナに強襲されて2着に敗れるなど、決して順調ではなかった。

それでもルドルフは強豪馬ひしめくジャパンカップで「六冠」を達成しており、ファンからの信頼は厚く、有馬記念でも圧倒的1番人気の支持を得た。

実際のレースも圧巻の一言で、岡部が直線半ばでムチを入れると、ミホシンザンを並ぶ間もなく抜き去って、4馬身差をつけてゴールを駆け抜けた。

フジテレビの盛山毅アナによる「世界のルドルフ、やはり強い! 3馬身、4馬身、日本のミホシンザンを離す! 日本最後の競馬、最後のゴールイン!」「日本でもうやる競馬はありません。あとは世界だけ、世界の舞台でその強さをもう一度見せてください!」は、今も日本競馬史に残る名実況の一つに数えられている。

岡部の騎手人生において、ルドルフはとりわけ大切な一頭であった。現役引退後には「騎手生活が38年間に及んだのは、もう一度シンボリルドルフのような馬に巡り合いたいと思ったからだ」と語っている。

《文・脇本深八》

岡部幸雄
PROFILE●1948年10月31日生まれ。群馬県出身。67年に初騎乗、71年の優駿牝馬(オークス)を制して八大競走初優勝。長らく中央競馬のトップジョッキーとして活躍し、ファンから名手の愛称で親しまれた

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