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北朝鮮で神格化された『金一族』「絶対に触れてはいけない」正恩氏“実母の経歴”

Alexander Khitrov
(画像)Alexander Khitrov/Shutterstock

11月30日、モロッコの首都ラバトで開かれた第17回ユネスコ無形文化遺産保護条約政府間委員会で、北朝鮮の「平壌冷麺風習」など計47件が、新たに人類の無形文化遺産に登録された。

北朝鮮の体制宣伝メディア『わが民族同士』は「平壌冷麺に込められた崇高な人民愛」という記事で、「金正恩総書記が麺の太さと生地をはじめ、調理方法まで一から教えてくださり、南朝鮮(韓国)の同胞が本物の冷麺が食べられるように文化の同化を図らねばならないと語った」と紹介した。

北朝鮮はこのように、最高指導者の経歴や人となりを大げさというレベルどころか、笑い話としか思えないほど誇張してまき散らしてきた。それは初代の金日成主席から2代目の金正日総書記、そして現在の正恩氏に至るまで、金一族の神格化こそ単なる国家ヒストリーの域を超えた体制維持の骨格であるからだ。

そんな中、若い世代は正恩氏の偶像化に疑問を持ちつつあり、北朝鮮当局は不穏分子を捕えて収容所送りにするなど、力で押さえつけてきた。

「正恩氏の偶像化を進める上で最大のアキレス腱となったのが、実母である高容姫の存在です。今でも彼女の出自については、ほとんど触れられていません。それは大阪で生まれた在日朝鮮人という経歴が、『国母』としてふさわしくないからです。また、正日氏の正妻でもなく、つじつまを合わせることが難しいのです」(北朝鮮ウオッチャー)

まだ現実化していないGPS

自らの偶像化に腐心している正恩氏にとっては、建国の父である日成氏の血筋だけがよりどころ。民族の聖地とされる白頭山で白馬にまたがり、謹厳な血統であることを強調してきたのはそのためだ。北朝鮮は1967年に唯一思想体系、72年に主体思想をそれぞれ導入し、最高指導者の神格化を進めてきた。常に「どうしたら国民に敬愛されるか」というテーマに挑んできたとも言える。

2006年9月、毎日新聞は正恩氏の『偶像化文書』を入手し、全文を公開している。その中には正恩氏が「金日成軍事総合大学を卒業したと同時に、北朝鮮で初めて衛星利用測位システム(GPS)を軍事作戦に結び付けた地図を制作。これを見た金正日総書記は地図の効用性を高く評価し、人民軍の関連組織に見本を送り、研究するように指示した」という記述があった。

しかし、いまだ北朝鮮は人工衛星の打ち上げに成功しておらず、GPSによるミサイル誘導ができないため、その命中精度には疑問符が付けられている。文書が本当なら、とっくに完成しているはずだ。

この文書は正恩氏について、「首領様(日成氏)や将軍様(正日氏)とそっくりな姿に感動を禁じ得ない」「マグマの火花が噴出するような眼光を持った金大将同志」などと、すでに大仰な表現をしている。

「興味深いのは日成氏が王朝体制を敷くに当たり、日本の天皇制を模範にしていたことだ。具体的には唯一主義で軍隊の統帥権を握り、絶対権力を直系男子に譲るという点で、正日氏から正恩氏への禅譲に際しては、中国から『共産主義に世襲制はなじまない』とクレームが付いたほどでした」(国際ジャーナリスト)

すべてがびっくり人間並み

金一族のトンデモ伝説は尽きないが、熱戦が繰り広げられているワールドカップにちなみ、2010年の南アフリカ大会における正日氏の逸話を紹介する。

「善戦したもののブラジルに1-2で敗れた金正勲監督が、次戦から『正日氏が開発した目に見えない電話でアドバイスを受ける』と打ち明けました。ところが、ポルトガルに0-7、コートジボワールに0-3と惨敗し、あっさり1次リーグで敗退したのです」(同)

北朝鮮の公式記録によれば、正日氏は生後3週間で歩き、8週間で言葉を発したという。大学時代には3年間で1500冊の本を書き、音楽史上最も素晴らしい6本のオペラを作曲したほか、スポーツの分野でも並外れた能力を発揮したことになっている。

「1994年に初めてゴルフクラブを握った際には、平壌のゴルフコース(パー72)で11回のホールインワンを記録し、38アンダーという驚異的なスコアをたたき出したとされ、初めてボウリングをしたときも、いきなり300点満点を記録したと喧伝されています」(前出・北朝鮮ウオッチャー)

もちろん、正恩氏も負けてはいない。小中学校で使用される教科書には、さまざまな超人伝説が堂々と記されている。

「3歳で車を運転し、5歳で戦車を操縦。8歳の誕生日前には大型トラックに乗り、曲がりくねる未舗装の道を時速120キロで走ったと紹介されている。大好きなバスケットボールでは、プロに勝ったそうです」(同)

北朝鮮の中心世代は、もはやこんなホラ話を信用してはくれない。仏作って魂入れず。なぜ、日本の皇室が国民に敬愛され、長い歴史を紡いできたのか、正恩氏はその理由をじっくり考えるべきだろう。

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