島田洋七 (C)週刊実話Web
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名前が出てこず番組で“おじさん”呼ばわり~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

芸能界に入り、芸能人のお子さんから声を掛けられることが何度かありましたね。漫才ブームの頃、B&Bは歌番組の司会も務めていたんです。あるとき、特番の司会を務めることになった。会場には観客が1000人ほど入り、生中継でしたね。出演者は大御所の歌手の方ばかりでした。


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今のテレビ番組だと〝カンペ〟といって、進行や台詞などを紙に書いたものをフロアディレクターが出演者に見せるでしょ。でも、当時のカンペは今ほど具体的に書いてなかったんです。


次の出演者は、ギターを片手に歌謡曲を歌う田端義夫さんだった。「田端さんに歌っていただきましょう」と紹介しようにも、どうしても名前が出てこなかったんです。スタジオ脇でスタンバイしている田端さんが目に入り、カンペを見ても紙がよじれていてなんて書いてあるのか分からない。困った俺は「歌っていただきましょう。続いてはこの〝おじさん〟です」とやらかしてしまったんです。それでも田端さんは人気があったから、会場は大盛り上がりしましたよ。


番組終了前、出演者が舞台に勢揃いして、俺らが1組1組にインタビューしたんです。田端さんに「今日はどうでしたか?」と聞くと、「君たちは面白いね。アドリブは最高だね!」と言ってくれたんです。てっきり、俺らは怒られると思っていたからビックリしましたね。「もちろん、田端さんのお名前は知っていますよ。漫才師ですから、ついついウケ狙いで〝おじさん〟と言ったんです」。「そのお陰で会場も明るくなって良かったよ」と褒められました。

有名人の娘さんにサインを…

その数カ月後、ホテルニューオータニのプールサイドでインタビューがあった。当時、俺はニューオータニに滞在していたから、取材が始まる前にプールでひと泳ぎしていたんです。

取材の時間が近づき、プールサイドでタオルで体を拭っていると、女子大生4人組が近づいてきた。どこどこ大学の、何某ですと名乗り、きちんと挨拶してくれた。その中の1人が「私は田端義夫の娘なんです」と打ち明け、「この前、うちの父におじさんて言ったでしょ(笑)。でも、父はすごく喜んでましたよ」と報告してくれたんです。


他にも、村田英雄さんの娘さんにも声を掛けられたことがありましたね。喫茶店で相方の洋八とお茶してると、若い女の子3人に「大ファンです。サインしてください」と頼まれた。しかも、そのうちの1人が村田さんの娘さんだという。


そのときは色紙がなかったから「電話番号を教えて。後で住所を教えてくれたら、サイン入りの色紙を送るから」。後日、洋八が電話すると、本当に村田英雄さんが電話に出てね。


「お前は誰だ?」


「B&Bの島田洋八です」


「本物なら、もみじ饅頭と言ってみなさい」


「それは相方の洋七のギャグです」


「なんの用事だ?」


「娘さんにサインを頼まれまして…」


娘さんが電話にかわると「父が根掘り葉掘り聞いてごめんなさい」。翌日、そのことを洋八から聞いて、まさか本当に村田さんの娘さんだとは思わなかったからビックリしましたね。


もちろん、サインはきちんと書いて送りましたよ。
島田洋七 1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。