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『昭和猟奇事件大捜査線』第37回「古井戸から見つかった美人妻の全裸遺体…捜査線上に浮上した変態の“義兄”」~ノンフィクションライター・小野一光

Vechterova Valeria
(画像)Vechterova Valeria/Shutterstock

「うちの嫁が、隣の家に風呂を借りに家を出たまま帰ってこない…」

昭和20年代の秋、北陸地方G県P市でのことだ。B地区にある駐在所に、近隣の沢田俊樹(仮名、以下同)がやって来て言った。

聞けば、俊樹の妻である沢田文子(24)が、ふだんから風呂を借りている隣の佐藤家へ出かけ、そこで入浴をしたのは間違いないが、それ以降の行方が分からないのだという。

巡査や沢田家の家族などが付近を捜索。その晩は見つからなかったが、翌日の午前9時ごろ、沢田家の分家である沢田良治宅から約80メートル離れた竹やぶ内にある古井戸の中で、全裸の状態の死体が発見された。

事件であることが明らかであるため、巡査からの報告を受けたP署の捜査員が現場に急行し、G県警本部からも捜査員が駆けつけ、本格的な捜査が行われることになった。

死体は検視の結果、口鼻強圧による窒息死と断定され、さらに姦淫の事実も判明したことから、強姦殺人である可能性が極めて高いとの見立てがされる。

沢田家の家族に事情を聴いたところ、文子が入浴に出た際は夫が不在で、祖父母も就寝していたため、着衣は分からないとのこと。

しかし、文子がいつも使用しているタオルが湿った状態で自宅表口に干してあり、使用した石鹸も炊事場に元通りに置いてあった点から、入浴から帰宅後の被害であると認められた。

さらに、死体が発見された古井戸は、現場の集落の一部の者しか知らない場所にあることから、被疑者は濃厚な敷鑑、土地勘のある者で、動機は痴情か怨恨、もしくは異常性格者の単独犯であると推定。以下の捜査方針を樹立する。

○被害者を中心とした家庭状況の把握
○親戚関係への捜査
○被害者の交遊関係の捜査
○周辺住民についての徹底的な捜査
○被害者の着衣の捜索

この中で、被害者の着衣発見のために、地元の住民30人の協力を得て、現場を中心に付近一帯への捜索が実施された(周辺で着衣は発見されず)。

極度の変態だった義兄が浮上

文子は22歳の春に同じ集落の男のもとへ嫁ぐが、半年もせずに離婚。前年春に俊樹と再婚し、夫と老齢の祖父母の4人で暮らしていた。俊樹はP市役所に勤めており、文子は自宅で農業に従事するかたわら、分家の沢田良治宅へ農作業手伝いに出入りしていた。

彼女の美貌は周辺でも知られており、さらに貞淑勤勉であるとして、良妻の評判が高かった。そんな文子の交遊関係についても、入念な捜査が行われたが、痴情怨恨の線は何も見つからなかった。

被害者の近親関係を洗っていた捜査班は、文子の夫・俊樹の兄である沢田良治(31)について、近隣で良くない風評がある点に着目する。

良治は沢田家の長男として生まれたが、小学校卒業後間もなく、祖父母および弟の俊樹を本家に残し、約400メートル離れた現在地に、両親とともに別居している。彼は妻・とし子(30)との間に1男1女をもうけていたが、終戦後に復員してからは性格が一変し、陰険無口となり、労働を嫌い、両親および妻とも折り合いが悪くなっていた。

時には出刃包丁を振り回すこともあり、さらには多情で変態性があるとの情報も、集落内での聞き込みの中で集まってきたのである。事件の10日ほど前には妻が里帰りしており、その理由についても、実は良治の虐待に堪えかねてのことであると、周辺では噂されていた。

P署に設置された捜査本部では、良治が古井戸にも精通していることから、有力な容疑者であると認め、決め手となる物的証拠の発見に努めることになったのだが、なかなかそれらしき証拠は集まらない。

そこで事件から4日後に、良治と妻のとし子、さらに両親の任意出頭を求め、それぞれ事情聴取を行うことにしたのである。

妻のとし子によれば、良治は異様に性欲が強く、さらには詳しい内容までは明かさなかったが、夫婦の性生活においては極度の変態者であるとのことだった。ただし、それだけでは、逮捕状を得るまでの証拠とはならない。

捜査本部は良治を一旦帰宅させ、翌日朝に再出頭させることにした。

当初は、「何も知らない」と容疑を否認する良治だったが、取調官は彼の発言の細かな矛盾を突き、諭すようにしながら事件について追及する。

「すみません。私がやりました…」

午後1時30分ごろ、観念した良治はついに犯行を認め、頭を下げたのだった。

そこで良治を緊急逮捕した捜査本部は、彼の自供に基づき、自宅から約2キロ離れた彼の遠縁に当たる、沢田正二郎方の床下を捜索。供述通りに文子の着衣を発見、押収したのだった。

「機会があれば、いつかヤッてやろうと」

弟の妻に対する凶行について、良治は次のように口にする。

「ちょうどその10日くらい前に妻が里帰りしたまま帰ってこないため、私は自分の性欲を溜め込んでいました…」

そこで良治が狙ったのは、本家から農作業の手伝いに来ている文子だった。

「文子はあの通りの美しい女で、私はその姿にいつも欲情を覚えていました。だから、機会があれば、いつかヤッてやろうと思っていたんです」

どす黒い欲望を胸に抱き、密かに姦淫の機会を窺っていた良治だったが、その日、文子の夫の俊樹が、市役所の仕事が忙しく、午後10時ごろでないと帰宅しないことを知ったのだという。

「昼間、文子が母にそう話していたのを聞いたのです。それで、もう今日しかないと思い、最初から犯してやるつもりで、午後8時ごろに本家に行きました」

本家に向かうと、風呂から帰ってきた文子が、部屋着姿で、寝室で針仕事をしていた。

「私は文子に、『蔵の中にある俺の着物を出したいので、蔵の電気をつけてくれないか』と頼みました。文子は二つ返事で家を出て、本家の向かいにある土蔵に入ると、2階の電気をつけてくれました」

彼女が土蔵の階段を上がりきったところで、良治は逃走を防ぐため、背後にある階段口の木戸を閉めたのである。そこで不穏な空気を感じた文子は、悲鳴を上げる。

「さすがにこれはまずいと、文子を背後から抱きかかえて、仰向けに床に倒しました。彼女は暴れましたが、その上に馬乗りになって、近くにあったボロ布で鼻と口を押さえつけて、声を出せないようにしました」

圧迫は3分間にわたり、連続10数回押さえつけたと明かす。恐怖に震える文子を良治は脅す。

「私は文子に、『俺は今日、相当な覚悟をして来たんだから、黙って俺の言うことを聞け』と命じ、彼女のズロースをはぎ取りました。文子はもう抵抗の気力を失っていたので、自分の思うままにして犯しました」

目的を遂げた良治は、みずからの罪の意識に慄くことよりも、この場をどう切り抜けるかを考えていた。

「大変なことをしでかしたのですから、これで終わりにすると、すぐに俊樹に知られるだろうし、文子をそのまま帰すわけにはいかないと思いました。それで、私は横に置いていたボロ布を手にして…」

事前に捨て場所も決めていた

良治は震えている文子の鼻と口にボロ布を当て、そのまま10分近く押さえ続けたのである。もがいていた文子は、最後に大きく痙攣すると、ピクリとも動かなくなった。

「それから文子を抱え上げ、周囲に誰もいないのを確認してから、自宅の隣にある瓦焼工場の中まで背負って運びました。工場では、文子が着ていた服を脱がせ、全裸にしました」

全裸にしたのは、死体が発見された際に、身元が明らかになることを防ぐ目的もあったが、良治が改めて文子の裸体を鑑賞して、興奮するためであったと、捜査員は見ている。

「それから離れた竹やぶの中にある古井戸まで、文子の死体を運びました。知る人ぞ知る場所なので、発見されにくいと思い、殺した後はここに死体を捨てようと事前に考えていました」

古井戸の水深は約1.8メートルあった。良治は文子の両足を持ち、逆さまの姿勢にして、暗い井戸の中に落としたと振り返る。

「懐中電灯を持参していたので、死体を井戸に落とすと、上から光を照らし、きちんと体が水の中に沈んだことを確認しました。そして、前から蓋代わりに置かれていた、孟宗竹6〜7本を元通りに並べ、分からないようにしたんです」

死体を遺棄してから工場に戻った良治は、床に散らばる文子の下着や着衣を拾い集めて、工場内の目立たない場所へしまった。さらに翌日になって、日中に人がいなくなる遠縁の沢田正二郎宅へと行き、それらを同家の家屋の床下に隠したのだった。

良治は犯行を振り返り、身勝手な思いを口にする。

「色白で、目鼻立ちのはっきりとした文子は、俊樹と結婚した当初から目をつけていました。かわいそうなことをしたとは思いますが、ずっと願っていたことなんで、自分がやったことへの後悔はありません」

小野一光(おの・いっこう)
福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーに。『灼熱のイラク戦場日記』『殺人犯との対話』『震災風俗嬢』『新版 家族喰い――尼崎連続変死事件の真相』など、著者多数。

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