東京芸人水脈史 東京吉本芸人との28年/宝島社
東京芸人水脈史 東京吉本芸人との28年/宝島社

『東京芸人水脈史 東京吉本芸人との28年』著者:山田ナビスコ〜話題の1冊☆著者インタビュー

山田ナビスコ(やまだ・なびすこ) 1969年生まれ。大学卒業後、カルチャー誌ライターなどを始める。1994年夏、吉本銀座7丁目劇場の求人募集に応募し、座付き作家となる。以降、東京吉本の若手ライブに関わるようになる。現在も年間数百本のライブに携わり、東京吉本所属芸人たちの間ではレジェンド(都市伝説的存在?)としてその名をとどろかせている。
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――〝お笑いライブ作家〟とは、どのような仕事なのでしょうか?


山田 大学卒業後にフリーライターを始め、1994年に開館した銀座7丁目劇場の座付き作家になってから吉本興業さんにお世話になっています。ライブ作家はお笑いライブの企画を考えたり、若手芸人と共にネタを作ったりしています。テレビだとスポンサーからの制約やディレクターからの演出指示を聞かなければなりませんが、作家は芸人とやりたいことがやれるのが魅力ですね。儲かりはしませんが、バカ笑いしていられますし、ハマッたらやめられない仕事だと思います。


――NSC(吉本総合芸能学院)で講師を務めていたそうですね。どのような授業をしていたのですか?


山田 業界でも有名な放送作家さんたちがネタ見せ授業を担当していたので、いわゆる「平場力」を上げる授業をしていました。バラエティー番組は「チームプレー」で成り立っています。どんなに面白いネタが書けても、キャラクターが強い人には勝てないことがあります。大人数で大喜利やジェスチャーなどのコーナーをやらせて、自分を相対化させることで、そのときの自分の立場や役割、どうしたら笑いを取れるかを考えさせるのです。芸人に必要なお笑い基礎体力づくりですね。東京吉本のスパルタコーチみたいな存在だと思います。

心に残るのは辞めざるを得なかった芸人

――数々の芸人を見てきたと思います。印象深い芸人はいますか?

山田 芸人の数だけドラマがあるので、この人! と言い切ることは難しいですね。才能があるのに辞めざるを得なかった芸人のほうが心に残ってしまいます。「たられば」はありませんが、少し時代が違っていたら…と思ってしまいます。どれだけの才能が世に出ずに去っていったかを、多くの人に知ってほしいです。


――まだ売れていない芸人の中にも面白い人は多いと思います。今、注目している芸人を教えて下さい。


山田 ここ数年内に『M-1』決勝に行くと思っているのが『ダイタク』です。また、芸人から絶賛されているのが『イチキップリン』というピン芸人です。そして、東京吉本の最終兵器は『ガリットチュウ』でしょう。私は自分のことを芸人という「精密機器」を取り扱う下町のおっさんだと思っています。本書は「コスパが~」とか言う若造が嫌いなアナログ人間が書いた、時代と逆行するようなアナログ本です。自分と同世代の方に「バカなことやってる奴がいるなぁ」と笑いながら手に取っていただけたら光栄です。


(聞き手/程原ケン)