薬丸裕英 (C)週刊実話Web
薬丸裕英 (C)週刊実話Web

シブがき隊とチェッカーズの知られざる確執…薬丸裕英がフッくんに激怒した過去も

1980年代に絶大な人気を博したチェッカーズとシブがき隊のメンバーが、12月4日に放送されたテレビ朝日系『いまだにファンです!』で34年ぶりに共演を果たした。


同番組は、芸能人をひたむきに応援し続ける熱狂的なファンが熱量たっぷりに語るトーク番組で、以前はレギュラー放送されていたが、今回特番として復活。前述の2組に隠された〝真実〟が明らかになったのだ。


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「ゲストとして、元チェッカーズの鶴久政治と元シブがき隊の布川敏和が登場。布川が明かしたところによると、デビュー当時こそ爆発的な人気を誇ったシブがき隊も、チェッカーズの台頭や後輩グループ・少年隊のデビューで人気にかげりが出てくると、布川と薬丸裕英、本木雅弘の間に微妙な亀裂が生じたというんです」(スポーツ紙記者)


布川と本木は、チェッカーズの人気ぶりを素直に認め、彼らの合宿所に遊びに行ってメンバーと仲良く交流していたという。


「すると、薬丸が布川に『ライバルのチェッカーズに、どれだけファンを持って行かれてると思ってるんだ?』と問い詰めてきたそうです。熱い性格で知られる薬丸らしいエピソード。表向きは事務所同士も紳士的な付き合いをしている現代とは違い、昭和の芸能界はガチでバチバチでしたからね。なんとも懐かしい時代ですよ」(同・記者)

全盛期の月給が5万円

一方、鶴久はメンバー7人が主演した1985年公開の映画『CHECKERS IN TAN TAN たぬき』がヒットした頃の月給が、デビュー2年目ということもあって5万円だったことを告白。3年目に月100万円まで急上昇したというが、これも芸能界にはよくある話だ。

本来なら、両グループのメンバー全員がそろい踏みして楽曲のパフォーマンスも披露してもらいたいところだったが、とてもそうはいかない事情がある。


「布川が明かしたように、昔は仲が良かった本木と今はまったく〝没交渉〟。逆に、薬丸はどちらとも仲がいいとされているので、薬丸が間に入れば3人がそろう可能性はなきにしもあらずだが、本木が〝孤高の役者像〟を確立しているから、今さら同窓会のノリで期間限定でも再結成することはないと思うよ」(芸能プロ関係者)


チェッカーズは、もっと絶望的だという。


「高杢禎彦が2003年に暴露本『チェッカーズ』を発売し、高杢派についた鶴久と、藤井フミヤら他のメンバー4人が対立。04年にクロベエこと徳永善也さんが亡くなった際のお別れ会でも、高杢派の2人とフミヤ派の4人が別々に取材を受けたほど。今も、その対立関係を引きずっているはずだから、6人が一緒のステージに立つことは不可能だとされている」(同・関係者)


往年のファンからすれば、なんとも寂しい現状だ。