芸能

新幹線内に充満するニンニク臭~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

島田洋七
島田洋七 (C)週刊実話Web

漫才ブームの頃、大阪でお笑いの特番があったんです。東京からはB&B、ツービートなどの3組が収録に臨んだ。夕方6時ごろに収録が終わり、みんな疲れてヘトヘトだったから、最終の新幹線が出る午後8時半くらいまでの間に3組とマネジャーの計10人で焼肉屋へ入ったんですよ。

焼肉屋にはニンニクのホイル焼きがメニューにあるでしょ。ニンニクが疲れに良いということで、みんなで食べたんです。まだ俺らは30代で腹が減っていたからガツガツ口にし、そのまま新大阪駅発の最終の新幹線に乗り込みました。

京都駅に到着しグリーン車両のドアが開くと、衣装の上からコートを羽織ったピンク・レディーが飛び乗ってきたんです。きっとギリギリで着替える時間もなかったんでしょうね。当時は俺らも人気があったけど、それでも「うわ! ピンク・レディーや」と思わず口走ったくらいです。

しばらくすると、俺らの席より少し前に座ったピンク・レディーの2人の会話が聞こえてきた。「この車両臭わない?」「ニンニクの臭いがするね」と話している。しばらくすると、ケイちゃんがトイレへ立った。戻ってくると、「やっぱり、この車両はすごく臭う」。

俺らはニンニクを食べたから気がつかなかったけど、車両中に臭いが充満していたんでしょうね。ミーちゃんもトイレへ行き、戻ってくると俺らに気がついて挨拶してくれたんです。そして、「この車両臭わない?」。「いや、俺は臭わないですけどね」と口を開くと、「ニンニク食べたでしょ?」とツッコまれました。「すみません。芸人とマネジャー全員で焼肉屋でニンニク食べたんです」と白状すると、「疲れているときにニンニクは良いもんね」と笑顔で返してくれました。

三度目もニンニクで…

それから2〜3カ月後、当時、俺は新宿でお好み焼き屋を経営していたんです。同じビルにあった歯医者へ治療に行くと、歯医者さんから「うちの娘がB&Bの大ファンだから家まで来て、一緒に写真撮ってくれませんか?」とお願いされ、自宅にお邪魔したんですよ。

立派なマンションで、奥さんも娘さんも喜んでくれてね。写真を撮って次の仕事に向かうことにした。エレベーター前で待っていて、ドアが開くと、ケイちゃんと女性のマネジャーさんが乗っていたんです。ケイちゃんはそのマンションに住んでいたんですよ。

「ええトコ、住んでますね」

「そんなことないですよ」

「この前のニンニクはごめんなさいね」

「今度はみんなでニンニク食べて、飛行機に乗ればいいじゃないですか。飛行機は席に座っていないといけないから、もっと臭うんじゃないですか(笑)」

そんな会話を交わしたのを覚えていますよ。

20年後。三重県である会社の慰労会に呼ばれたんです。出演陣はB&Bと若手漫才師、そして、ケイちゃんでした。久々に再会すると、「今日はニンニク食べてないんですか?」とまたまたイジられました。よほどニンニク臭が強烈だったんでしょうね。

ピンク・レディーに会って3回ともすべてニンニクの話ですよ。以来、ピンク・レディーの名前を目にしたり耳にしたりするたびにニンニクを思い出しますね。

島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。

あわせて読みたい