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『昭和猟奇事件大捜査線』第36回「妻を娶っても同衾し続けた義理の母子に何が?義母との情事の哀れな末路」~ノンフィクションライター・小野一光

※画像はイメージです (画像)yspbqh14 / shutterstock

「そこの山林に、心中でもやりに来たような薬の箱と男女の服やらが、バーッと散らばっとるんやけど…」

昭和20年代の春のある日のこと。関西地方X県Z村の派出所に、近くに住む橋本巌(仮名、以下同)が駆け込むなり言った。

すぐに同派出所長が、橋本とともに現場に駆け付けると、たしかに山林内に、睡眠薬の空容器、女物羽織、女物マフラー、化粧道具一式、男物オーバーコート、男物マフラー、弁当箱、ウイスキー瓶、「田村」とかろうじて判読できる印影のある風呂敷、唐鍬1丁、その他数点の遺留品が散乱している。

そこで直ちにU警察署に応援要請を出して、数人で付近を捜索したところ、現場から約100メートル下方で、見たところ40代半ばくらいの女の死体が、雑木林内の木に引っかかっているのを、発見したのだった。

死体は腐敗しており、右のすね部分にわずかな擦過傷が認められる他は、外傷はないようで、蛆の発生やその他の状況から判断して、死後1カ月くらいが経過していると見られた。

その日は間もなく日没時間となったため、やむなく捜査を打ち切り、翌日に医師を伴って検視した結果、所見は次の通りだった。

〈前頸部と後頭部に軽微な打撲傷と、右脛部に擦過傷がある他に外傷はなく、身体末梢部はミイラ状を呈し、中枢部はほとんど腐乱しているが、窒息死の症状は認められない〉

現場が山深いところであることや死体の状況から、捜査班は以下の見立てをしている。

○自殺または心中の場所としては適地と考えられない
○自殺、心中者には唐鍬携行の必要がない
○自殺者にしては遺留品が散乱し過ぎている
○男物オーバーコート、マフラーを遺留しているので、現場に男が居合わせたと思われる
○男の死体が発見されないし、遺留品中の男の物が、女の物より少ない
○薬物を飲んだと思われる地点と死体の遺棄状態、距離が不合理である

こうしたことなどから、自殺か他殺かを仔細に検討したが、女一人の自殺でないことは明らかではあるものの、その一方で死体に積極的な殺害の痕跡が認められないため、他殺と認定する資料もない状況だった。そこで捜査班は、いちおう自殺ほう助の線で捜査を進めることに決め、まず死体の身元を確認するための捜査を優先する方針がとられることになった。

そのため、遺留品に押捺されている「田村」の印影を唯一の資料として、宿泊者、外来通行人、行方不明者、家出人、田村姓の居住者の有無の捜査が実施されたのである。

15歳も年上の義母と不倫

捜査員が聞き込みに回ったところ、Z村にある川俣旅館で、気になる情報を仕入れてきた。

それは1カ月半ほど前のこと、35〜36歳くらいの男が川俣旅館に辿り着き、「実は友達4人と××山に登ろうと中腹まで行ったところ、急に便意をもよおして、すぐ追いつくからと友達を先に行かせました。そうしたらはぐれて道に迷い、2日2晩、何も食っていないので助けてもらえないでしょうか」と、哀願したのだという。

そこで男は同旅館に2泊することになったが、「カネは友達が持っていたので持ち合わせがない」として、P県の父にT(電話)局から電報を打ち、その日のうちにやって来た父と帰っていったとのことだった。

直ちに捜査員がT局へと向かい、電報の内容について捜査を行ったところ、発信人は「田村隼人」となっており、受信人はP県の「田村慎太郎」とある。また、電報の文面は「××(T)キョク(局) カネオクレ」というもの。

そこで捜査班は、遺留品の印影にあった「田村」との一致、さらに宿泊時の挙動および言動の不審な点から、田村隼人(36)を有力容疑者と断定し、更に捜査を進めることにした。

その捜査を進めるなかで、死体の女について、彼女が電報の受信人である田村慎太郎の後妻・田村志乃(51)であることが判明する。そこまで明らかになったことで、捜査班は自殺ほう助の逮捕令状を得て、志乃の義理の息子である田村隼人を指名手配することにしたのだった。

田村(隼人)は、彼の現住所があるG県内でG県警によって逮捕され、その身柄はすぐにX県警U署に移送された。

当初、志乃から心中を持ちかけられ、自分は自殺に至れなかったと主張する田村だったが、取調官に供述の不合理な点を追及されると抗うことはできず、ついに志乃の殺害を自供する。そこで田村が供述した、志乃の殺害に至る経緯は、取調官が予想もしない驚くべき内容だった。

結婚した後も同居していた…

田村は中学2年で実母と死別し、彼の父・慎太郎は亡き妻の姉の子である志乃を後妻に迎えていた。

大学を卒業した田村はP県で就職するが、戦争が始まり従軍。昭和21年に復員して父と義母(志乃)、弟と同居すると、以前の就職先に復職する。田村の供述は次の通りだ。

「復員の翌年、私は街娼と遊んだことで淋病を患ってしまいました。その治療をしていたときに、志乃が献身的にしてくれ、そうした流れで肉体関係を持ってしまったんです」

志乃と田村の年齢差は15歳。義理の息子であるとはいえ、女盛りの彼女にとって田村は、男として意識してしまう存在であった。

「その後、私は社内の転勤でG県に移り住むのですが、そのときも志乃との関係は続いておりました。志乃は私が転勤してなかなか会えなくなるのが辛かったようで、私の身の回りの世話が必要だからとの理由をつけ、父のもとを離れてG県にやって来たんです」

同じアパートで同居した2人は、周囲にはあくまでも親子であることを装いながら、不倫関係を続けていたという。

「そのうち私が営業課長に就任すると、周囲から『課長ともなれば、妻を持たないと信用に関わる』と言われるようになりました。上司からも妻帯を勧められ、断れない見合いを持ちかけられたため、志乃にも事前に了解を得たうえで、2年前に高田涼子(28)と結婚したんです」

その新婚生活にも、志乃は新郎の母として同居したのだと田村は語る。

「同居してから間もなくして、志乃は私と妻の間に割り込んで寝るようになり、妻が外出する機会を狙って、私に性交を迫るようになっていました。私としては、いつまでもこういうことを続けていてはだめだと思いながらも、ずるずると志乃との関係が続いたのです」

志乃の田村に対する執着が強まれば強まるほどに、田村の中では、妻・涼子に対する恋慕の思いが日々、募っていったそうだ。

「涼子を好きになればなるほど、志乃との関係に嫌悪感を抱くようになりました。そこで何度か自分から、関係を終わらせることを申し出たことがあります。そのたびに志乃は半狂乱になって、私の頭部を斧で切り付けてきたり、あと、酩酊して寝ている私の首を絞めてきたりする始末で、まったく手に負えないのです」

義母に“情死”を持ちかける

そういうことが繰り返されるうちに、いつしか田村は、志乃を殺害するしか彼女と別れる手段はないと考えるようになっていたのである。

「志乃の嫉妬はますます強まる一方でした。私は妻との離婚のことがあるからと嘘をつき、志乃を強引にP県の父のもとに連れ帰り、その機に弟にすべてを話し、親類の医者に依頼して注射で殺して病死を装うか、走っている列車に突っ込んで自殺を装うかというようなことまで話し合いました」

手段こそ決めかねていたが、志乃の殺害を決意した田村は、いったんP県を離れ、G県にある妻の実家に立ち寄った。すると、そこにも志乃が追いかけてきて、ついには妻の実家で田村との秘めた関係を暴露したのである。

「すべてを明かされたことで、もうすぐにでも志乃を殺さなければと思いました。そこで志乃に対して心中を持ちかけ、旅に連れ出すことにしたのです。その際に、私は妻や父に対する遺書と会社への辞表を書き、それらを志乃に渡すことで信用させることにしました。続いて睡眠剤2箱をP県で買い、それから一緒にX県に移動し、××山の旅館に宿泊しています」

田村は志乃に対して、〝情死〟を持ちかけているが、彼自身は死ぬつもりはなく、あくまでも志乃の自死にみせかけるつもりだった。

「翌日、××山の峰伝いのハイキングコースを辿って現場まで行き、そこで、私も続いて飲むからと偽って、まず睡眠剤60錠を志乃に飲ませました。彼女は間もなく意識を失ったので、そのまま木のたもとまで引きずっていきました。そして私は現場を離れ、川俣旅館に行き、友達からはぐれてしまったように装い、世話になったのです」

田村は志乃の遺体が発見された後のことを考え、心中を図ったが死にきれなかったように見せるため、男物の衣類をわざと残していた。さらに父に伴われてP県に戻ってからは、志乃が行方不明者だとしてP県警に保護願いを出しており、妻の実家に対しては、志乃はP県の精神病院に入院したと伝えていたのだった。

小野一光(おの・いっこう)
福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーに。『灼熱のイラク戦場日記』『殺人犯との対話』『震災風俗嬢』『新版 家族喰い――尼崎連続変死事件の真相』など、著者多数。

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