芸能

元『メロン記念日』歌手、女優/大谷雅恵インタビュー〜元アイドルが自己破産、生活保護に…

大谷雅恵
大谷雅恵 (C)週刊実話Web

コロナ禍は、さまざまなニュースをもたらしたが、元女性アイドルが生活苦から自己破産、生活保護を受けていた事実は衝撃だった。彼女の名前は大谷雅恵。1999年、モーニング娘。&平家みちよの妹分募集オーディションに合格し、『メロン記念日』というユニットで10年間アイドル活動をしていた。その大谷は今、芸術家としての道を歩み始めているという。一体、彼女に何が起きたのか?

――メロン記念日は伝説のオーディション番組『ASAYAN』(テレビ東京)から生まれたユニット。3687人の中から選ばれ、つんく♂氏のプロデュースでデビューしました。

大谷 最初は誰がプロデュースしてくださるか決まってなくて、レコーディングの日に初めてつんく♂さんにお会いしたんです。ザ・芸能人という感じでしたが、気さくに話しかけてくださり優しかったです。

――デビュー曲は『甘いあなたの味』でした。

大谷 それが全然売れなくて、オリコンチャートの左ページ(ベスト50位以内)には入るだろうと思ったら、なんと63位。8曲目の『赤いフリージア』まで、ずっと低空飛行でした。レコーディングのたびに「これが最後だぞ」と言われ続けてましたね(笑)。

――解散のきっかけは何だった?

大谷 メンバー同士は仲が良かったんですよ。でも、8年目のときに意思確認をし合ったんです。「10年を区切りとして、それぞれが第二の人生に進んでもいいのかな」って。私は解散の翌日からフリーになりました。ソロ歌手としての夢を叶えたいと、8年くらいは週に1回のライブ活動をしながらアルバイトに精を出していました。

――解散時のつんく♂氏の反応はどうでした?

大谷 「お前たちが決めたことなら」と受け入れてくださり、フリーになってからも折に触れて近況報告や相談などをしていました。実はその間にがんになられて(2014年)声帯を摘出されるなどしていたのですが、メールでのやりとりなので私には一切分かりませんでした。後にニュースで知り大変なときにすみませんでした、と謝りました。

自己破産するまで膨らんだ借金…

――当時はどんなアルバイトを?

大谷 カフェのホールに始まり、アパレル店で深夜に洋服を畳んだり、知り合いの経営するゲイバーのカウンターに立ったこともあります。私はノンケですけど(笑)。それからアマゾンのピッキングもやりました。注文された商品を倉庫内で探す仕事なのですが、いろんな便利グッズやアダルト系の商品もあり、面白いし新商品をいち早く知ることができて楽しかったですよ。

――アイドル時代の収入はどれくらいでした?

大谷 同年代女性のお給料と同じくらいだったと思います。フリーになってからは減りましたが、それでもなんとか生活はできていました。

――コロナ以前は順調だったんですね?

大谷 はい。動画の配信を始めた頃は毎日7時間ほど歌ったりしゃべったりで、月に50万円くらいの収入になっていました。引っ越しなどで借金もありましたが、なんとか返せると思っていたんです。

大谷雅恵
大谷雅恵 (C)週刊実話Web

――最初の借金はそれですか?

大谷 はい。引っ越しのためのローンです。当時、東京から離れて住んでいたのですが、仕事のたびに上京すると電車賃がかさむのと、東京にいた方が仕事も増やせるのかなと。金額は50万円くらいでした。

――その後、自己破産するまで借金が膨らんでしまうのはなぜ?

大谷 友人との共同経営でネイルサロンを始める計画があり、私は性格上、形から入ってしまうんですね。道具を揃えなくちゃと、クレジットカードで買いました。ところが、コロナ禍で出店は中止。その上、動画配信の収入もライバルが多数登場してきたことでジリ貧に。最終的には生活保護を申請した2020年末ごろの借金が450から500万円くらいになっていました。正直、追い詰められすぎて自分でも正確な金額を把握できないくらいの状態だったんです。

―結果、20年の末から生活保護を受け、自己破産の申請も開始。翌21年1月に自己破産が成立した。だが、あることを始めたことで徐々に収入を得ることができるように。同年7月、生活保護は廃止となる。

窮地を救った創作活動

――半年ほどで生活保護から抜け出せた要因は?

大谷 コロナで時間ができたことで、歌以外に自分にできることはないかと探したんです。昔からモノ作りが好きで、ソロになってからのグッズは自分でデザインしていたことから、いろいろと試してみてタイダイ染めに辿り着きました。それが当時の主な収入源です。

――タイダイとは?

大谷 タイ(Tie)は縛る、ダイ(Dye)は染めるの意味で、一般的には絞り染めともいわれています。それでTシャツを作ったところ、某アパレルブランドさんからコラボの依頼を受け、オンラインショップで販売もしています。それ以外にも彫刻や絵画、陶芸など、いろいろトライしていて、今後は芸術家としても頑張っていきたいと考えています。今年の夏にはクラファン(クラウドファンディング)で支援金を集めて個展も開催したんですよ。

――なぜクラファンを?

大谷 陶芸を本格的にやるとなると、自己破産していたので費用がなかったんです。そこでクラファンを使い陶芸教室に通いたい、個展を開きたいという目的で支援金を集めました。目標額70万円のところ118万円が集まり、無事に開催できました。支援していただいた方には金額に応じてタイダイ染めTシャツや陶芸品などを送らせていただき、個展の会場では即売もして8割くらいは買っていただけたんです。

――年末には2回目の個展を開催されるそうですね。

大谷 12月17日から25日まで、前回と同じ会場で行います。クリスマスなので、真っ赤なマグカップやお皿など、記念になるものを展示する予定です。

――今回もクラファン?

大谷 そうです。でも、目標額を90万円にしたところ、50万円しか集まらなくて…。「スパンが短すぎる」とアドバイスされてはいたのですが、どうしてもクリスマスにやりたかったんです。売り上げでなんとか補填したいので、みなさん、ぜひお越しください(笑)。

気になった生活保護の賛否

――現役アイドルの頃は恋愛禁止でしたか?

大谷 他のグループはそうでした。私たちは特に言われてなくて「任せるよ」と。でも、メンバーはみんなおとなしくて、仕事が終わったらご飯を食べて帰るだけって感じ。その証拠にメロン記念日はスキャンダルが1つもなかったんですよ。

――アイドル時代に付き合ってる人はいなかった?

大谷 いないです。もちろん、人並みに出会いや別れはありましたが、仕事を辞めてまでお付き合いを選ぶ…という感じではなかったです。私の場合、初めて聞いたバンドのボーカルの声にホレちゃうなど、一撃で好きになることが多いんです。才能のある方と、互いを高め合えるパートナーなら欲しいかなとは思います。

――生活保護が廃止されて1年ちょっと経ちますが、現在の収入状況は?

大谷 家賃と光熱費はなんとか払えるくらいになりました。おいしい物は食べたいけれど、食にはこだわらなくなりましたね。

――自己破産と生活保護の体験から考えたことは?

大谷 公表することで賛否両論はあるだろうと覚悟はしていました。でも、私はあえてその言葉を聞きたいと思ったんです。コロナという、誰も予想しなかったことで苦しんでいる人はまだまだいます。私は絶望のどん底から救い出していただけました。当事者の私が話していくことが大事なんじゃないかと考えたんです。

◆おおたにまさえ
1982年2月25日生まれ。第2回個展は12月17〜25日、東京・吉祥寺の「ユメノギャラリー」(武蔵野市吉祥寺東町1-5-12)にて開催。ツイッター@OTANI_MASAE

あわせて読みたい