(画像)icedmocha/Shutterstock
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伊達公子「みんな口をそろえて言うんですよ。ユー・アー・クレイジーって」~心に響くトップアスリートの肉声『日本スポーツ名言録』――第30回

この9月、52歳の誕生日に再婚を公表した元テニスプレーヤーの伊達公子。日本人の女子選手として初の快挙をいくつも成し遂げてきたレジェンドは、社会の古めかしい既成概念にとらわれず、プライベートでも自由に振る舞い続ける。


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プロテニスのグランドスラム(ウィンブルドン選手権、全米オープン、全仏オープン、全豪オープン)やグレード1000といった格式の高い大会では、基本的に男子も女子も同額の賞金が用意されている。例えば史上最高の賞金額となった2022年の全米オープンでは、男女ともに優勝賞金は260万ドル(3億7050万円)だった。


勝ち上がりも含めた賞金総額が最上位のATPファイナルズは男子だけの大会で、グレード500以下の大会では女子の賞金がかなり低くなっていたりもするが、それでもテニスはプロスポーツの中で、最も男女の待遇格差が少ない競技と言えるだろう。


日本人歴代トップの女子プロテニスプレーヤーが誰かと問われれば、これまでグランドスラム4勝を挙げている大坂なおみがダントツのナンバーワン。しかし、男女含めて日本人初の世界ランクトップ10入りを果たした伊達公子も、生ける伝説と呼ぶにふさわしい実績を残している。


両親の影響で6歳からテニスを始めた伊達は、高校3年のインターハイでシングルス、ダブルス、団体の三冠を達成し、卒業後の1989年にプロ転向。いきなり全仏、ウィンブルドン、全米の予選を突破して本戦出場を果たし、翌年の全豪ではベスト16まで進出した。

「世界進出の先駆者」伊達の放つ“カリスマ性”

そんな伊達の武器はライジングショット。当時のテニスでは「相手の打ったボールがバウンドして落ちてきたところで、ラケットを大きくスイングして打つ」というのが一般的であったが、ライジングショットはボールのバウンド直後に、小さなスイングで打ち返すという打法。相手の体勢が整う前に反撃ができて、ボールに勢いもつくというのがその利点だ。

しかし、これを使いこなすためには、ボールに追いつくための足の速さや落下点を予測する能力、小さなスイングで強く打つための筋力などが求められる。当時、そんな難しい打法を使いこなす女子選手は珍しく、世界からは〝ライジング・サン〟の異名で迎えられた。


若くしてグランドスラムの常連となった伊達は、1994年に海外の大会で初優勝を遂げると、直後の全豪で初のベスト4に進出。翌年の全仏でもベスト4となり、当時、男女含めて日本人歴代最高となる世界ランキング4位を記録した。


そんな伊達を追いかけるようにして、沢松奈生子や杉山愛らが世界のひのき舞台で活躍。ある種のカリスマ性を誇った伊達は、日本人女子選手による世界進出の先駆けとして、一時代を築くことになった。


だが、1996年に伊達は突然の引退を宣言する。このとき、まだ26歳。同年のフェド杯では〝女王〟シュテフィ・グラフを破る大金星を挙げ、アトランタ五輪女子シングルスでもベスト8に進出。全盛期とも言えるこの時期の引退は、世間に大きな驚きを与えた。


引退時には「満足のいくテニスができた」と語った伊達だが、のちに当時の心境を振り返って「世界の中で戦うことの孤独感やプレッシャーに苦しんだ」と告白。また、伊達は「テニスが楽しいというのはプロになって最初の頃だけ。その後はずっと、テニスが嫌でした」とも話している。

常識にとらわれない人生

ところが2008年、37歳の伊達は11年半のブランクを経て現役に復帰し、再び世間を驚かせた。これについては、夫であるミハエル・クルム(ドイツ人レーシングドライバー。01年に結婚、16年に離婚)から「公子はまだ若いんだから、カムバックすれば」との助言があったという。

さらに、伊達は「世界と戦うためでなく、若い選手に刺激を与えるため」と、復帰の理由を語っている。しかし、そう言いながらも同年の全日本選手権でシングルスとダブルス優勝の二冠を達成。いきなり〝若い選手への刺激〟どころでない活躍を見せるのだから、やはり尋常ではない。


2010年の東レ・パンパシフィック・オープンでは、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった23歳のマリア・シャラポワに勝利し、13年には全豪とウィンブルドンの女子シングルスで3回戦に進出。42歳での勝利は、両大会の最年長記録を塗り替える快挙であった。


前人未踏の挑戦について「みんな口をそろえて言うんですよ。ユー・アー・クレイジーって」と笑う伊達。2017年になって自身のブログで「伊達公子、再チャレンジにピリオドを打つ決断をいたしました」と、ついに二度目の引退を発表した。


苦しくて嫌になったから引退して、やりたくなったら復帰する。しかし、やるとなったらとことん努力する。自分の意思で行動する伊達のプロ人生からは、スポーツ本来の爽やかさが感じられる。


「常識なんかにとらわれなくてもいい」と話す伊達は、この9月に自身のブログにおいて、52歳での再婚を公表。「人生100年時代。50代に入っている今ではありますが、まだまだこれからたくさんの楽しい時間を2人で積み重ねていきたい」と、新たな結婚生活への思いを記している。


《文・脇本深八》
伊達公子 PROFILE●1970年9月28日生まれ。京都府出身。インターハイで三冠を達成し、高校卒業後にプロ転向。世界ランキング4位を記録。1996年に引退するも11年半のブランクを経て2008年に復帰。17年に二度目の引退。