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『令和の“応演歌”』彩青~番組で細川たかし師匠に声を掛けていただいて(前編)

彩青
彩青 (C)週刊実話Web

――2019年、若干16歳のときに『銀次郎 旅がらす』でデビューしました。唄、尺八、津軽三味線の三刀流で注目を集める彩青さんですが、歌に興味を持ったきっかけは?

彩青 生まれ育ったのは北海道岩見沢市です。毎年、YOSAKOIソーラン祭りで両親が踊っていました。幼かった私も連れて行ってもらっていたんです。大抵の幼い子供は踊りを真似るのですが、私の場合、踊りに興味が持てず、踊っている人たちの横で歌を口ずさんでいたんですね。そこで歌っていたある方に「民謡教室を開いているから一度遊びに来ないか」と誘われたんです。それで5歳から民謡を習い始めました。

ところが、いざ教室に通い始めると、初めの半年くらいは三味線を弾いてもらって「はい、彩青くん歌って」と促されても全く歌えなかった。まだ5歳だったこともあり、人前で歌うことが恥ずかしかったんでしょうね。でも、歌は好きだったので通っていくうちに段々と人前でも歌えるようになりました。

――幼い頃はスポーツを習ったことはないんですか?

彩青 幼い頃、父親とキャッチボールをしたり、サッカーボールで遊ぶことはあったのですが、ボールを投げられても逃げてしまうような子供だったようです。どちらかと言えば、両親は共に運動が得意なタイプ。私はちょっと違ったようです(笑)。

そして、民謡の次に尺八も習い始めたのですが、「一緒に楽しめるから」と、父も尺八を習い始めました。尺八が親子の交流の1つになりましたね。

「11歳なのにこぶしがまわるね」

――7歳からは津軽三味線を始めますね。これはどういったきっかけだったんでしょうか?

彩青 6歳くらいのときに、民謡の大会に出場したんです。大会では審査が始まる前、開幕演奏といって、三味線や尺八奏者の先生方が並び演奏するんですね。初めてそれを聴いたとき、圧倒されてしまったんです。それで自分でも始めました。

――それだけ芸事を習っていると毎日忙しいですね。

彩青 毎週火曜と木曜が民謡、水曜日が三味線の稽古です。土日は三味線や民謡の大会に出場したり、施設へ慰問するなどしていました。でも仲間との交流もありましたし、家族も応援してくれたので楽しかったですよ。「今日は稽古に行きたくない」なんて弱音は吐かず、むしろ早く行こうよみたいな感じだったようです。

――その後、細川たかしさんに師事するようになりますね。

彩青 小学校6年生のときに、『関ジャニ∞』さんの番組で、細川師匠率いる演歌軍団VSキッズ軍団という企画があったんですね。そこに出演した際、師匠に声を掛けていただきました。「11歳なのにこぶしがまわるね」と褒められ、「この先、声変わりの時期を上手く乗り越えたら、弟子として迎えたい」とおっしゃってくださいました。

テレビ収録中でしたから、本当かどうか分からない面もあったんですが、それ以降、常に気に掛けていただいたんです。北海道に来られた際は、一緒にカラオケに行き指導してもらい、普段は歌っている模様を撮影し、LINEや電話で直接指南していただきました。そして、高校1年の途中で、人よりひと足早く高校を〝卒業〟し上京しました。(以下、後編へ続く)

彩青(りゅうせい)
2002年生まれ、北海道岩見沢市出身。5歳より民謡、7歳から津軽三味線を始め、11歳で細川たかし氏に師事。2019年『銀次郎 旅がらす』でデビュー。今年4月には『沓掛道中』をリリース。

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