島田洋七 (C)週刊実話Web
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「佐賀のがばいばあちゃん」舞台出演~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

俺の自叙伝『佐賀のがばいばあちゃん』は映画になり、テレビドラマになり、舞台にもなったんです。一度目の舞台では、大空真弓さんがばあちゃん役を務めて、俺は講演で全国各地を飛び回って忙しかったから出演しなかったんですよ。


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舞台は3週間の稽古を合わせると、準備に2カ月も掛かるんです。2回目の舞台化も出演のオファーがあった。でも、講演は1年先まで入っている。渋っていると、スタッフが東京での3週間の稽古には参加しなくていいこと、福岡・博多座での初日前の2日間の通し稽古だけの参加を条件にしてくれたんです。


それでも俺は芝居をやったことがないし、25日間で1日2公演、3時間の芝居のうち俺が演じたばあちゃんと自分の役は1時間くらい台詞があるから断ろうと思ったんですけど、熱意にほだされて受けたんです。


東京での稽古に挨拶に行くと、俺の母ちゃん役を演じた高橋惠子さんに「座長が初演前の2日間しか参加しない芝居は何十年もお芝居をやっていますけど初めてです」とクギを刺されましてね。謝ると「洋七さんの本が原作だから、その中の台詞もたくさん出てくるでしょうし、私たちが頑張りますから大丈夫ですよ」と優しい言葉をかけてくれました。お芝居はやはり脇役がきちんとしているからこそ成立するものですね。


初演2日前、初めての稽古に臨むと、高橋さんの芝居は寒気がするくらい上手かったというか、芝居をしていることを感じさせないくらい自然なんですよ。本に、母ちゃんがキレイだったと書いてはいたけど、目の前にした高橋さんはどれだけキレイなことか。

セリフを間違え客席大爆笑

いざ迎えた初日、緞帳が開く3分前に「あと3分で初日を迎えます」と舞台監督が大きな声で言った。俺は舞台監督に「ところで、ばあちゃんはどんな感じで歩いたらいいですかね」と尋ねると、「いまさらですか。普通に歩けばいいですよ」と呆れられましたね。

幕が開き子供の頃の俺の役の子役とのシーンが始まったんです。「昭広、なんで泣いているの? ばあちゃんに言いなさい。そのわけを」と子役に近づいて言おうとしたら、「なんで泣いているの? じいちゃんに言いなさい。そのわけを」と間違えてしまったんです。


子供は台詞覚えは早いんですけど、アドリブができないからずっと黙り込んでいる。俺は間違ったままの台詞を3回繰り返しました。すると「稽古のときはばあちゃんだったのに、なんでじいちゃんに変わったの?」と呆れた顔で子役が返したんです。客席は大爆笑ですよ。


初日から3日間はセットの後ろに弟子を忍ばせて、こっそりと台詞を先に言わせ、後を追うように俺は芝居をしてましたね。


初日が終わると、座長の部屋に出演者が集まり、舞台監督からダメ出しがあるんです。40人ほどの出演者の中で一番注意を受けたのは座長の俺ですよ(笑)。「座長、あそこはこう言いましょう」などとね。出演者一同、大爆笑でしたね。


中でも、一番笑っていたのが高橋さん。「洋七さんの間違いでものすごくウケていたから、これはこれで良しとしましょう」とみんなに声をかけてくれ、ものすごく助かりましたね。
島田洋七 1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。