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双葉山「いまだ木鶏たりえず」~心に響くトップアスリートの肉声『日本スポーツ名言録』――第28回

Yuka Tokano
(画像)Yuka Tokano/Shutterstock

近年の角界では「横綱の品格」について多くの議論が交わされているが、その理想とされるのが69連勝の偉業を達成し、〝相撲の神様〟〝昭和の角聖〟と称される双葉山だ。しかし、そんな大横綱にもカルト事件に関与した過去があった。

2010年の大相撲11月場所において、横綱白鵬は前頭筆頭だった稀勢の里に敗れて連勝が63でストップした際、支度部屋へ戻って「いまだ木鶏たりえず、だな」と語ったという。

この言葉は、もともと戦前の横綱双葉山によるもので、70連勝が懸かった取組に敗れた日の夜に、師と仰ぐ哲学者の安岡正篤へ「イマダモッケイタリエズ」と電報を打ったことが伝えられている。

木鶏とは中国の文献『荘子』にある「本当に強い闘鶏は、他の鶏が鳴いて騒ごうとも泰然自若としていて、まるで木製の鶏のようである」との故事に由来したもの。つまり「まだ自分は真の強者ではない」という双葉山の反省の弁であった。

現役時代の白鵬は「横綱の品格に欠け、大相撲の伝統に反する」などと批判を受けることも多かったが、大横綱のエピソードを引用したあたりを見れば、伝統や歴史を軽んじていなかったことが分かる。

白鵬は「後の先(相手より一瞬あとに立ちながらも、当たり合ったときには先手を取っているという立ち合いの極意)」という言葉もよく口にしていて、これも双葉山の代名詞とされたものだった。

「双葉山を誰が止められるのか」

幕内優勝回数と通算勝ち星で歴代1位の白鵬も、双葉山の連勝記録「69」には及ばなかったが、この快挙は1936(昭和11)年の1月場所7日目から始まった。

当時の双葉山は東前頭2枚目で、同年は一場所11日制。翌年からは13日制となり年間2場所の開催であったことから、双葉山は1939年まで足掛け4年にわたって勝ち続けたことになる。

無敵の双葉山を一目見ようと、好角家たちは徹夜で本場所の入場券を求めた。一場所の日数が増えたのも、あまりに双葉山の人気が過熱したためだという。

それまでの記録は江戸時代中期に活躍した谷風の63連勝とされ、双葉山はこれを1938年の5月場所に更新。約157年ぶりに連勝記録を塗り替え、全勝で5場所連続の優勝を成し遂げた。

そうして39年の1月場所は「双葉山を誰が止めるのか」「連勝はどこまで続くのか」との期待が寄せられる中で迎えたが、双葉山は前年の満州・大連巡業の際にアメーバ赤痢に感染し、まだ回復の途中で決して体調万全ではなかった。にもかかわらず出場したのは、前年12月に同じ横綱の玉錦が腹膜炎で亡くなっていたことから、「自分が横綱の責任を果たさねば」という決意からだった。

4日目、双葉山が前頭3枚目の安藝ノ海(のちに横綱)に外掛けで敗れると、国技館全体が地鳴りのようなどよめきに包まれ、興奮した観客によって座布団はもちろん、酒瓶や暖房用の火鉢までが飛び交う暴動状態にまでなったという。

後年、勝った安藝ノ海は「ひいきの人が、貸し家が2軒ついた家を褒美にくれたよ」と話しており、双葉山の敗戦はそれほど衝撃的な事件だった。

そんな中、当事者の双葉山はいつも通りに一切の感情を表すことなく、一礼して支度部屋へ引き揚げていった。とはいえ、内心はよほど悔しかったのだろう。それが冒頭のエピソードにつながった。

変貌してしまった偉大なる横綱

結局、この場所では4敗を喫することになり、双葉山自身は「動揺するまいと身構えたところに、気付かぬ動揺があったのだろう」と語っている。それでも次の場所では全勝優勝で復活。連勝ストップ以降に都合7度の優勝を飾ってみせたのだから、そこが不世出の大横綱たるゆえんだろう。

だが、1945年に現役引退した双葉山は、それから約1年後、国民的英雄らしからぬトラブルを起こすことになる。

石川県金沢市に本拠を置く新興宗教「璽宇」は、終末思想を唱えて信者を増やし、当時、貴重だった白米など食糧を寄進させていた。これが食糧管理法に違反するとして警察が家宅捜査に乗り出すと、信者たちの先頭に立って双葉山が立ちはだかったのだ。

引退したとはいっても元横綱。20人以上の警官を相手に大立ち回りを演じ、取り押さえられるまでに15分以上かかったという。

結果、双葉山は公務執行妨害で逮捕されたが、偉大な横綱の変貌ぶりは世間を大いに騒がせた。双葉山の信仰はかなり熱心だったようで、事件の前には知人たちに「東京で天変地異が起きる」などと、触れ回っていたという。

なぜ、怪しげな新興宗教にのめり込んだのか。土俵上では相撲道に邁進した双葉山も、その実像は悩み苦しむ一人の人間であり、日本敗戦後の動乱にあって心の中の弱い部分が表出したのかもしれない。

常に精神鍛錬に努め、人品申し分のない大横綱であっても、ふとした瞬間に洗脳されてしまうのがカルトの恐ろしさということか。

逮捕後に知人たちから説得されると、双葉山はわれを取り戻して教団からの離脱を決意。釈放後には「悲しいかな、私には学がなかった」と語ったという。

《文・脇本深八》

双葉山
PROFILE●1912年2月9日生まれ〜1968年12月16日没。大分県出身。第35代横綱として、太平洋戦争が間近に迫る時局に圧倒的な強さを発揮した。幕内最高優勝12回。幕内戦歴276勝68敗1分33休。

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