ほんこん (C)週刊実話Web
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芸人・ほんこんインタビュー~「ブサイク」と言われて嬉しいもんではないけどな…~

『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系)で一躍、全国区の芸人となったほんこんさん。近年は情報番組のコメンテーターや、お笑いの審査員を務めることもある吉本の重鎮だが、今回は伝説のテレビ番組の舞台裏や、大物芸人との秘話まで忌憚なく語っていただいた。


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――大阪NSC4期生ですが、高校卒業後に入学されたのでしょうか?


ほんこん「いや、2年間、車関係の会社で働いていましたよ」


――もともと芸人になる夢を持ちつつ就職を?


ほんこん「高校生のとき、アルバイト先のお好み焼き屋さんのお客さんから『おまえ、おもろいな』と言われて、興味はありつつ芸人の世界なんて俺には絶対無理やと思っていました。けど漫才ブームがあり、島田紳助さんの番組で漫才をするダウンタウンさんを見て、『うわっ、おもろい!』と衝撃を受けてね。それで3期生の願書をもらいつつ1年間考えた末、会社を辞めようと決意したんです」


――同期には今田耕司さんがいらっしゃって、コンビを組まれていたんですよね。


ほんこん「そう。今田から『組みません?』と誘われて。でも彼は遅刻ばかりするから、ネタ合わせもできへんやん。そのあと『ホンコン・マカオ』というコンビを組んだけど、相方が『カレンダーの赤い数字の日は休みたい』言うて。わしらそこで働かなあかんのに。石田靖とも1日だけ組んだことがありましたよ」


――1日で解散!


ほんこん「今の会長の大﨑(洋)さんに、コンビを組んだと報告に行ったら、『やめろやめろ! 売れへんで!』と言われて、素直にやめますと」


――そして最終的に、板尾創路さんと130Rを組まれたんですね。


ほんこん「卒業のときに板尾から誘われてね。『初舞台でウケへんかったらやめよう』と言っていたけどウケたから。『心斎橋筋2丁目劇場』でやっていたダウンタウンさんの『2丁目探検隊』というイベントに出るためのオーディションに受かって、2人のお客さんにも受け入れてもらえて」

トラウマになった“どっきり”

――そこから1991年12月放送開始の『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系)出演に繋がっていくんですね。初期の番組の雰囲気はいかがでしたか?

ほんこん「時期に限らず、世間を無視してやっていましたね。たとえば96年8月にアトランタ五輪の放送の裏で、『どうせあんまり見いひんやろう』と1時間『トカゲのおっさん』のコントをやっていて、おもろいなあと思ったよ」


――評判はいかがでしたか?


ほんこん「よかったね。アスリートと勝負して、ほんますごいなと思いました」


――ほんこんさんが出演した中で一番印象的な企画は?


ほんこん「『飲んだらパワーアップ』ですね。酒を飲んで、お客さんの前でオール阪神巨人さんにインタビューをする企画で、『おまえ最近漫才で手抜いてるんちゃうか』と失礼なことを言い続けるんです。耳元のイヤホンにはダウンタウンから司令が入り、どこまで言えるのかという企画と聞かされていたんですが、阪巨さんは全部知ってはんねん。お客さんも仕込みでね」


――阪巨さんが仕掛け人のどっきりだったんですね。


ほんこん「ほんなら阪神さんがキレてタバコの箱を投げて『やってられるか!』と舞台から捌けて。楽屋に謝りに行くと巨人さんから『おまえはずっとこんなことをやるのか』と言われたから『僕は本意ではないけど、お笑いの仕事としては、今後もこういうことはやっていくと思います』言うたら、『なんじゃコラー!』と胸ぐら掴まれて。殴られる、もうどうでもええわ、と思って、俺は吉本を辞めなあかんと腹をくくったの。その瞬間、ダウンタウンさんが『どっきりー!』と言いながら入ってきて、浜田さんなんかヒャーヒャー笑ってるしな。そしたら安堵と一緒にぶわーって涙が出てきて。あんなに泣いたん、最初で最後ちゃうかな」


――人生初レベルの号泣?


ほんこん「そう。だからそこからトラウマになって、ドッキリはNGにしています。仕掛け人も」


――浜田さんのドSぶりが窺える話でもありますね。


ほんこん「浜田さんには、それはもう…テレビで言うてる話もあれば、言うたらあかん話もあるしな」


――雑誌でなら言えますか?


ほんこん「あかんて! よく言うのは、耳たぶをずーっと引っ張られたり。喫煙中に『灰皿ないわ』と言われて『ありませんね』と返すと『あるがな』と、俺の手に視線をよこすとか」


――恐い(笑)。


ほんこん「『おはようございます』言うたら急にビンタやで。それをいまだに後輩の前でやるねん。おもろいやろ」

『浜田やけど、家流れてない?』

――2人の信頼関係があってこそできることですよね。

ほんこん「そう、家に行ったらめっちゃ優しいねん。2人で桃太郎電鉄をやっていたとき、『おまえにずっとキングボンビーつけたるわ!』『勘弁してくれや』なんて言い合いつつ、『おまえ腹減ったか』言うてインスタントやけどラーメン作ってくれたんですよ。ゴルフに行ったときも、俺がゴルフ道具を持っていないから、倉庫から自分のゴルフセットを汗びっしょりになりながら探してくれて。風呂入ったあとですよ? アホちゃう!」


――優しい! なんだかんだ仲良しですね。


ほんこん「今は、台風のときに家に電話がかかってくるくらいやけどね」


――台風のときだけ?


ほんこん「うちは多摩川の近所のマンションなんやけど、嫁が電話に出ると『浜田やけど、家流れてない?』。嫁が『浜田さんが、家流れてないかって言ってるけど…』言うて。同じ年やけど、ほんまずーっとおもろい人やで」


――ずぬけた同い年の同業者に対して、悔しさなどはありませんでしたか?


ほんこん「あるよ、ずーっと。でもそれがあったから、今もこうしてお笑いの仕事ができているんちゃうかな。なかったら、もっと下で終わってたよ。200を目指していたから、160までいけるもんや。今でもダウンタウンさんを最初に見たときの衝撃は覚えてるもん。だからプライドもありましたよね、追いつけへん自分もいる一方で『一番おもろい人の番組に参加させてもらっている』というプライドが」


――『ごっつ』は多くの芸人さんや視聴者に影響を与えた一方で、コンプライアンスが厳しい現在では放送できないシーンもあるかと思います。


ほんこん「なんやろ?」


――たとえば、篠原涼子さんら女性に対する演出が、今では「セクハラ」だと。


ほんこん「あったね。『ゴレンジャイ』で浜田さんがようYOUに腰を振ってたな。でもあれエロちゃうよ。浜田さんのクセや! クセクセ! 知らんかったん!?」

ブサイクに代わる言葉が〝ほんこん〟

――クセなら仕方ないですね(笑)。あと今は、ほんこんさんを「ブサイク」とイジることさえ難しくなっているんでしょうか。

ほんこん「ブサイクって言うてもあかんやんね。だから誰かが番組で『ブサイクに代わる言葉』という大喜利のお題に『板尾の隣の人。もしくはほんこん』と答えてて、おもろいなあって」


――あははは!


ほんこん「あんた、ものすごい笑うなあ…。もっと可愛くしたらええのにな、ブサイクに代わる言葉、『ほんこんちゃん』とか」


――(笑)。芸人さん同士だからこそ、「ブサイク」が芸として成り立つと思います。


ほんこん「まあ言われて嬉しいもんではないですよ。でも、これで楽しんでいただいているのでね。『いじめに発展する』というけど、『テレビでやっていることはこの人らの仕事や』と教えるのが親や学校の仕事ちゃうの? 俺らのはプロレスやと思ってくれと。その中でも、ほんまに言うとる奴は見つけて怒るけどな」


――分かるんですか!


ほんこん「分かる、イジり方が下手やからね。ブサイクで終わらず、『ブサイクやけどゴリラの世界ではまあまあ男前な方や』と言われたら『よう考えたらムカつくなあ!』ってこっちも返せるやん」


――笑えない事象が多い昨今、そういったお笑いに癒やされている人は多いかと思います。


ほんこん「中田ボタン師匠も『笑いはええで、一瞬でもイヤなことを忘れるやろ』とおっしゃっていましたけど、俺も思う。人は人でしか勇気づけられへんちゃうかな。たとえ借金に追われても、お笑いで一瞬でもそのことを忘れるもん。俺は舞台に立ってお客さんから笑いをいただくと元気になるしね。でも舞台に立つ前はいつも落ち込むねん。『うわー、どうしよ、でもやらなあかんし』って」


――いつも緊張感がある。


ほんこん「緊張感があるからこそいろんなもんが頭を巡るし、手を抜かないんやろうね。ストレスがあるからこそ、人間生きていけるんやと思う」


――最後に、今後の展望を教えてください。


ほんこん「地方の舞台で人情劇をやりたいね。ネット社会だけど、やっぱりライブが一番ええねん。やりたいけど、俺には会社は動いてくれへん(笑)。今そこにマネジャーおって作業してるけど、どうせロバート秋山(竜次)のスケジュール管理してるんやろ」


――(笑)。ありがとうございました!


(文/有山千春・企画撮影/丸山剛史)
◆ほんこん 1963年、大阪府出身。NSC4期生で、今田耕司や板尾創路らと同期。板尾と130Rを結成し、しばらくは関西圏を中心に活動していたが、1991年に『ダウンタウンのごっつええ感じ』のレギュラーに抜擢されたほか、「吉本ブサイクランキング」で殿堂入りし全国区の知名度を得た。現在はピンでの活動が多く、『コロナと国防』(ワニブックス)など著作も持つ。