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伝説の漫才師・花菱アチャコ~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

島田洋七
島田洋七 (C)週刊実話Web 

しゃべくり漫才の元祖とされる横山エンタツ、花菱アチャコさんのアチャコさんに一度だけお目にかかったことがあるんですよ。まだ初代B&Bの相方、団順一(現在は放送作家として活躍)とコンビを組んでいた頃です。

朝日放送で朝のワイドショー的な番組でした。新人漫才師のネタを見るコーナーがあるとのことで、島田洋之介・今喜多代師匠とテレビ局に向かいました。本番直前、初めてアチャコさんの前で漫才を披露することを知らされましてね。もちろん、横山エンタツ、花菱アチャコさんはレジェンドでしたけど、おふたりの漫才を直接見たことはなかったですし、俺が子供の頃は映画に出演している姿ばかりを目にしていました。

しかも、売れっ子で大御所だったうちの師匠でさえ、「お久しぶりでございます」と深々と頭を下げて挨拶している。師匠からは「すごい人やから。しっかり頑張りなさい」と言われて、プレッシャーが相当、掛かっていたんです。

生放送が始まり司会の方が「それではB&Bさんです。どうぞ!」。まだテレビに出るのは5回目くらいでしたが、アチャコさんの前で漫才を披露しましたよ。ネタを見終わったアチャコさんは感想を求められると「君らは売れる」と一言。うちの師匠へも「いい弟子を持ってよかったな。この子らは売れるよ」と褒めてくださったんです。「君らは漫才を始めてどれくらい?」、「まだコンビを組んで半年くらいです」。「半年でこんな漫才できるの? 最近の漫才は変わってきたね」と仰っていましたね。

改めて名前を聞かれて…

番組が終わり、楽屋で着替えて師匠たちと帰ろうとすると、アチャコさんがプロデューサーと付き人を従えて歩いて来る。すると「君らのコンビ名をもう一度教えて」。「B&Bです」。「横文字か。新しいね」と、俺ら2人の頭をポンポンと叩いて「頑張りなさい」と声をかけてくれ、そのまま去って行きましたよ。

伝説的な漫才師に褒められ、すぐにでも芸人仲間に自慢したかったけど、当時は今のように携帯電話なんてないでしょ。花月の楽屋へ行くと、「アチャコさんの前で漫才なんてすごいな」。みんなも番組を見ていてくれたようです。

当時は、芸人の数が今より少ないのもあったかもしれないけど、コンビを組んですぐに関西ローカルの番組に何度か出してもらっていました。でも、初代の相方にしても、2代目の相方の上方よしお、3代目の島田洋八にしても、俺は相方に恵まれていたんですよ。

俺もよくネタにするし、芸人仲間も洋八のことを「なんでやねんしか言わない」と面白がって話していますけど、洋八のツッコむ間は絶妙ですよ。本人も喋りたいのを我慢してツッコミだけに専念しますから、ある意味では天才ですね。

B&Bの漫才は、間は笑福亭仁鶴さんや中田カウス・ボタンさん。スピード感は横山やすし・西川きよしさんに影響を受けていますね。ネタの作り方は桂三枝(現・文枝)さんや桂文珍さんを参考にしていました。

三枝さんと文珍さんは時々、古典落語以外をやるんですけど、その際は日常の些細なこと、たとえば箸の使い方なんかをネタにしていましたからね。

島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。

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