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『昭和猟奇事件大捜査線』第33回「川に84歳老婆の全裸死体…劣情を催した容疑者のとった行動とは?」~ノンフィクションライター・小野一光

※画像はイメージです(画像)Unique Shutter / shutterstock

昭和20年代の夏のある日、四国地方某県の山岳地帯でのことだ。

木炭を製造している沢田留吉(仮名、以下同)が、出来上がった炭を搬出するためのワイヤーを張ろうとN川の川岸を歩いていたところ、川に人間の死体が浮いているのを発見。慌てて営林署の公衆電話を使い、所轄のT署に通報した。

すぐに捜査員が駆けつけると、外見から老婆と思しき死体が、頭を下流に向け、裸のままうつ伏せの状態で浮いている。

死体はすぐに川岸に引き揚げられ、見分が行われた。いくつか外傷があり、後頭部に鈍器のようなもので強打したと思われる挫創が、左腕上部には長さ約10センチの剝皮創があった。また、死体は水を飲んだような形跡がなく、死後入水と推定された。

死体発見現場付近を捜索したところ、そこより約300メートル上流の岩の上に多量の流血の痕跡が認められ、その近くでは被害者が着用していたと思しき、血液の染み込んだ簡易服が発見されたのだった。

流血の痕跡が認められた岩場より約15メートル上流には川沿いの県道があり、そこは高さ5メートルの崖になっている。捜査員はその崖下で、ゴム草履片方と女用の櫛1個を発見。そのため被害者が、県道から崖下に落ちたものと推定されたが、崖下から岩場までの間には血痕などの異常は認められなかった。

そうしたことから、転落によって怪我をした被害者が自ら移動したわけではなく、第三者が転落を偽装したのではないかとの判断が下されたのである。

やがて被害者は、この近くに住む笹井ユキノ(84)であると判明する。ユキノは死体発見の前日夕刻、同じ村に住む次男の笹井二郎宅に行くため自宅を出て、同日午後7時半ごろから8時ごろまでの間に、現場付近に差しかかっていたことが、彼女とすれ違った目撃者の証言で明らかになった。

同居する長男の曖昧な供述

本件について他殺であると推定した県警本部は、捜査本部を設置して、以下の捜査方針による捜査を開始することにした。

○現在までの状況では、目的や動機の判定が困難であるので、物盗り、痴情、怨恨、痴漢等、すべての線を一応の対象とする
○これを洗う(確認作業)ための手段として、被疑者を中心とする関係人の足取り、付近住民の動静、不良青少年の動向、家族間の軋轢等の捜査および一般的な聞き込み内偵に重点を置く

そうしたなか、地元住民より、被害現場より約700メートル下流の路面から2メートルほど離れた灌木の根元に衣類が落ちているのを発見したとの情報が寄せられる。

そこで捜査員を派遣して、当該の地域を捜索したところ、ユキノの物と認められる夏着物とゴム草履片方、杖用の長さ90センチの丸木1本を発見。着物には血痕が付着しているのに、周囲に血痕が全く認められないことから、これらは犯行現場から持ち出されて捨てられたものと認められ、本件は他殺事件であることが決定的となったのだった。

捜査員の報告によれば、ユキノと同居する長男夫婦については、彼女の面倒をよく見ていたという者と、厄介者にしていたとの、二面の風評があるとのこと。

そこで参考人として、長男の笹井健太郎と、その妻の琴美に事情を聴取したところ、その供述は極めて不自然で、曖昧なものだった。というのも、琴美は義母のユキノが家を出るときは家にいて彼女を送り出したと言うが、夫には知らせていなかったと話し、一方の健太郎は母の外出について、妻の琴美から聞いていたと口にする始末なのだ。

さらに、健太郎夫婦が住む笹井家は山中の一軒家で、同家から現場までの間に、山道を通れば、誰にも姿を見られずに行けることも明らかになる。

そのため、健太郎を通常逮捕し、取り調べを行うとの方針が立てられた。

しかし、夫婦のアリバイはなく、健太郎の供述は依然として曖昧なままであったが、送検するに足る決め手もまた発見できない。捜査本部としては、2日後に彼を釈放するほかない結果に終わってしまう。

嫁の琴美に若い情夫の存在

捜査が思うように進展しないことから、捜査本部では捜査方針の再検討が行われ、次の第二期捜査方針が樹立する。

○長男・健太郎夫婦に対する捜査の徹底
○犯罪現場に最も近い、営林署L事務所飯場の作業員7名に対する捜査の徹底
○地元不良青少年および前科者の洗い出し

こうして捜査が進められていたが、健太郎夫婦に対する捜査のなかで、新たな情報が飛び込んでくる。それは被害者のユキノが生前、「(息子の嫁である)琴美には最近、年若い情夫ができている」と洩らしていたというもの。

そこですぐにその情報の出どころを追ったところ、事件の2カ月ほど前の夏祭りで、ユキノが知人の坂田百合子に話していたことが判明。さらに、ユキノは親戚にあたる川口祥子にも、同様に洩らしていたことも分かったが、情夫の名前については、「それが健太郎に知れると、どんなことになるか分からないから言われない」と、どちらにも語らなかったとのことだった。

琴美は年齢52歳だが、その割に見た目は若々しく、血色のいい、男好きのする顔をしていた。そこで捜査本部では、健太郎夫婦に対する疑問の解明とともに、琴美の情夫が何者であるかの捜査に重点を置くことにしたのである。

そうしたなか、並行して進められていた死体の第一発見者である沢田留吉への詳細調査をしていたところ、こちらでも新たな情報が飛び込んできた。

それは死体発見の当日昼、沢田が叔父の家から帰宅途中に、健太郎夫婦の隣家に住む中村紘一(18)と会い、彼から「この下の方に着物がある」と言われており、実際に注意しながら帰っていると着物を発見。それから周囲を気にかけて歩いているときに、死体を発見したというものだった。

そこで中村に任意出頭を求めて取り調べたところ、「そんなことはない」と否認を続けたが、連日出頭を求めて取り調べたところ、彼は新たな証言を始める。

「山へ行く途中、誰のものとも分からずに、着物を拾って山へ持って行ったが、被害者の着物だということが分かり、恐ろしくなって元のところへ捨てた」

だが、そう話す中村の態度には不審点が多い。そこでひとまず彼を占有離脱物横領容疑で逮捕し、取り調べを続けることになった。

人妻とその義母まで姦淫

18歳の少年ということで、取り調べは慎重に行われた。すると翌日になって、ついに彼は、ユキノに対する殺人を認めたのである。

そこで容疑を殺人に切り替えて取り調べを行うことになったが、当初は「強姦の目的で殺した」と口にし、続いて「借金に窮し、強盗の目的で殺意が生じた」と内容が変わるなど、いかにも不自然極まりない。

背後に何か秘密があると感じ取った取調官は、中村への説得を続ける。そうしたことで徐々に態度を軟化させた彼は、ついに真相を口にしたのだった。

それは、中村は隣家に住む人妻の琴美と1年ほど前の夏から情交関係にあり密会を続けていたが、1カ月ほど前に彼女から、「ふたりの関係を婆さんが知って他人に洩らしているから、殺してくれ」と頼まれたというもの。

つまり、52歳の人妻が、情交相手の18歳の少年に義母の殺害を依頼したというのが、事件の真相だったのである。

捜査本部はすぐに琴美を逮捕して取り調べたところ、彼女は当初、頑強に否認していたが、その日のうちに、中村との情交関係および、殺害を依頼した事実を自供したのだった。

中村と琴美は、彼女から誘いかける形で1年以上にわたり、付近の山中で密会を続けていた。そして、息子の嫁の不貞に気付いたユキノが、周囲にそのことを言い触らしているのを知り、中村に対し、「このままではふたりが会えなくなるから、義母を殺してくれ」や、「殺してくれたらカネをやる」と数回にわたって殺害を依頼したのである。

殺害を決意した中村は、琴美の指示に従い、家を出たユキノを県道近くで待ち伏せた。そして彼女が崖の近くを通りかかったところで、背後からその体を抱え上げ、5メートル下の崖下に突き落としたのだ。

中村はその場からいったん家へと帰ったが、夜10時ごろにユキノの生死を確認するため、再び現場に赴いている。すると、彼女は人事不省の状態にあったものの、いまだに死亡はしていなかった。

そうしたときに中村は、なんと劣情を催したのだという。80代のユキノの服を脱がすと、その場で姦淫。目的を果たしたうえで、彼女の頭を岩石に打ちつけて殺害し、死体を脇のN川に押し流したのである。

中村はユキノの所持品を持ち帰る途中、着物以外の物は路傍に投棄した。翌日、着物を琴美に渡したが、気味悪がった彼女から捨てることを依頼され、他の物を捨てた場所に捨てている。

殺害を依頼した琴美のみならず、それを実行後、さらに姦淫にまで及んだ中村に至っては、まさに〝鬼畜の所業〟との言葉が相応しい事件だった。

小野一光(おの・いっこう)
福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーに。『灼熱のイラク戦場日記』『殺人犯との対話』『震災風俗嬢』『新版 家族喰い――尼崎連続変死事件の真相』など、著者多数。

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