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『令和の“応演歌”』門松みゆき~2歳で演歌に目覚めました…(前編)

門松みゆき
門松みゆき (C)週刊実話Web

――門松さんは2歳で演歌に目覚めたそうですが、その年で演歌に目覚める子供も珍しいと思います。元々、ご両親の影響ですか?

門松 それが違うんです。両親も演歌にあまり興味がなかったそうで、知人の方に「北島三郎さんのステージは楽しいよ」と勧められたらしいんですね。まだ2歳だった私も行きたいとせがみ、一家そろって新宿コマ劇場へ見に行ったんです。

幼い頃の私はとにかく落ち着きがなく、どこへ行っても迷子になるような子供でした。でも、北島さんの舞台だけは別でした。お芝居と歌謡ショーの計4時間、2歳児がおとなしく食い入るように見ていたそうです。両親もすっかり北島さんの舞台に魅せられ、一家で大ファンになりました。それからは地元の小田原からロマンスカーに乗って、新宿まで北島さんの舞台を観劇へ行くのが毎年、家族の恒例行事になりましたね。福岡の博多座まで追いかけて行ったこともありました。

最初は理解するのが大変だったんですが、毎年、見に行くとだんだん、お芝居の内容も分かるようになり、涙を流していたそうです。小学校に上がる前から将来は演歌の道へ進むと決心していました。演歌を保育園で歌う子供も珍しいですよね。今でも先生たちの印象に残っているそうです。

北島さんと同じ舞台に立てるなら!

――そこから具体的にオーディションを受けたりしたんですか?

門松 小学校3、4年の頃、演歌歌手になるには何が必要か考え始めたんです。そこで、まずボイストレーニング、そして民謡を習い始めました。民謡の先生の旦那さんが津軽三味線の奏者だったので、津軽三味線も始めたんです。ただ、三姉妹の末っ子なので、当時は全員エレクトーン教室へ通っていて、すぐに習うことができませんでした。両親にエレクトーンをやめて、津軽三味線を習いたいと懇願したんです。もし演歌歌手になれなくても、津軽三味線の奏者になれば、北島さんと同じ舞台に立てると考えていたんです。

他にも、リズム感が必要だと考えました。演歌ばかり歌っていると、演歌のリズム感しか維持できないのではないかと思い、ジャズダンスやヒップホップのレッスンも受けましたね。

――それだけ幼い頃から将来を見据え、習い事をしていたんですね。友達の前でも披露したんですか?

門松 カラオケに行くと「歌って!」とお願いされることもありましたが、私は職業にしたかったし、そんなに簡単に歌うような安売りはしたくなくて、断っていました(笑)。

――結構、頑固な性格なんですね。

門松 頑固なんですけど、ネガティブな面もあるんです。今でも番組や舞台の動画を見ては、至らない部分にしか目がいかなくて…。でも、それで良いと思っているんです。満足したら努力しなくなってしまうと思うので。

高校2年のときに恩師である作曲家の藤竜之介先生に週1回、レッスンを受けるようになりました。後に聞いた話では、藤先生は初めて私の歌声を聴いたとき、椅子から転げ落ちるかと思ったと仰っていました。確かに、当時の歌声を聴くと、よく歌手になりたいと思っていたなと恥ずかしくなりますね(笑)。そして、高校卒業と同時に、藤先生の内弟子としての生活がスタートしました。(以下、後編へ続く)

門松みゆき(かどまつ・みゆき)
1993年、神奈川県小田原市生まれ。2歳で演歌に目覚め、16歳で藤竜之介氏に師事。特技はダンス、津軽三味線、トロンボーン。2019年『みちのく望郷歌』でデビュー。今年5月『彼岸花咲いて』をリリース。

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