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バラエティー進出へ先陣を切った松方弘樹~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

島田洋七
島田洋七 (C)週刊実話Web

前回、豪遊など数々の逸話が語り継がれる勝新太郎さんの話をしました。昔の芸能人には、さまざまな伝説を持つ人が多いんです。

その中の1人、松方弘樹さんともご飯を食べに行ったことがあるんです。『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』が大人気だった頃、収録終わりのたけしと飯を食いに行く約束をしていたので、スタジオで待っていたんです。そうしたら松方さんも同席するというじゃないですか。なんでも松方さんから「この後、ご飯でもどう?」とたけしが誘われて、「洋七と約束しています」と答えると、「一緒に来ればいいじゃん」となったわけです。

たけしと俺は松方さん行きつけの寿司屋に連れて行かれた。席に座ると、「大将、ヘネシーのボトル3本お願いね」と松方さんが頼んだ。俺ら2人は「ボトル1本も飲めないですよ」と遠慮すると、松方さんが返した言葉に納得しましたね。

「1本1本に、たけし、洋七、松方と名前を書いてキープしておけば、次に来たときに俺のじゃなくて、自分のボトルがあるから遠慮なく飲めるでしょ。それに1人1本なら自分が飲んだ量が分かりやすいでしょ」

当時は俳優の方がバラエティー番組に出演するのはまだ珍しい時代だった。だから「タケちゃん、ごめんね。バラエティーに出させてもらって」。「いやいや、松方さんに出演オファーして、出てもらえるとは思いませんでしたよ」。そう交わす2人の会話を覚えています。たけしも「最初の4本の収録を終えるまでは、どこまで俳優さんにツッコんでいいのか分からなかった」と漏らしていましたね。

ドラマ現場とバラエティー番組の違い

また、ドラマの現場は大変だという話題にもなりました。まずセリフを覚えないといけない。それに例えば朝8時から収録が始まるなら、5時前に起きて現場へ行って化粧をしないといけないでしょ。松方さんは〝遠山の金さん〟シリーズ『名奉行 遠山の金さん』で主演を務めていた。桜の彫り物を描き、撮影が終わればそれを落とすから結局、「帰るまでに1時間以上掛かる」と言ってましたね。しかも、1話分撮影するのに何日も要するんです。

対して、バラエティー番組だと、ちょこっと化粧をして、収録を終えて、すぐに帰ることができる。収録時間もたけしが司会だと、1時間番組の場合、1時間半くらいしか収録しないんですよ。弟弟子の島田紳助だと、1時間番組に2時間くらい収録して、面白いところを使ってください、というタイプなんです。しかも、バラエティー番組は何本も掛け持ちできるけど、時代劇はそうはいかない。だから「バラエティーにレギュラー出演できて嬉しい」と松方さんは感謝していましたよ。

結局、松方さんはヘネシーを半分くらい飲んだ後、「明日は早いから。解散しよ」と言ってお開きになったんです。きっと俺らに気を使ってくれたんでしょうね。紳士的な人だなとつくづく思いましたよ。

前回も勝新太郎さんが楽屋でヘネシーを飲んでいたと書きましたけど、松方さんもヘネシーだった。当時、日本では殊更ヘネシーが流行っていたらしいですね。やはり、大御所俳優の2人は、時代の先端を走っていたんだなと感心しますよ。

島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。

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