葉山レイコ (C)週刊実話Web
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女優・タレント/葉山レイコインタビュー〜グラビア界のレジェンドが降臨!

1980年代末〜90年代にグラビア界を席巻した葉山レイコ。その後はテレビドラマや映画、深夜のお色気番組などで大活躍した彼女も、今年で53歳になった。美貌は今も健在だが、コロナ禍で始めたインスタグラムが話題となり、往時を知らなかった若者の間でも人気が上昇しているという。


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――2年前からインスタグラムを始めたそうですね。


葉山 遅ればせながら、事務所に言われてやり始めました。私のことを応援してくださる方が、ちょくちょく事務所のHPを覗きにきてくださるんです。「何かイベントや出演情報はないか?」って。だったら、葉山レイコのことがしっかり分かる場所を作るのが親切なんじゃないかと…。


――それまではSNSに興味がなかった?


葉山 はい。ツイッターなどは一切やってなかったし、時々見るのは素人さんのものばかりでした。犬を飼っているので、お気に入りのワンちゃん(の飼い主)はたくさんフォローしてるんですけどね。芸能人でフォローしている方は今でもゼロです(笑)。


――どんな写真をアップしている?


葉山 基本はインドア派なので、日常の何気ないことばかりです。その中で発見したのは、自撮りって難しいなぁということですね。インスタを始めて最初の年の誕生日に、私が生まれた時間(午前1時12分)に時計の下で自撮り写真をアップしようとしたら、何回撮ってもアゴが宇宙人みたいにとんがっていたんです。「もしや霊の仕業?」「何かに取り憑かれてしまった!?」と大騒ぎ。結局、そのまま載せちゃいました。


――勝手に加工されてたってことですか?


葉山 そうなんです。数日前に友人が「写真って盛れるんだよ」と話していて、どこかをイジったのを思い出しました。私、そんなことも知らずにやってたんですよね。


――どうせなら目がパッチリとかにすればよかった?


葉山 いえいえ、自然が一番です。いつでもどこでもすっぴんでやってますから。

ムームーに裸足でテレビ出演

――着飾らない、盛らないところが葉山さんらしさなのかも。バズった話題などはありますか?

葉山 私の芸名の由来をお話ししたときかな。最近、生まれて初めて葉山マリーナに行ったんです。16歳で歌手デビューするときにハワイアンを歌うことになり、ふさわしい芸名を考えていました。海っぽいといえば湘南、茅ヶ崎、葉山…と候補が挙がり、ハワイといえば首にかけるレイ。その組み合わせの中から葉山レイコになりました。もちろん、葉山マリナという案もあったんですけどね(笑)。


――どうしてハワイアン歌手に?


葉山 そうじゃなくて、ハワイアンを歌うのが売りのアイドル歌手なんです。デビュー時のキャッチフレーズが「ハワイアン族のマドンナ」でした。


――苦労が忍ばれます(笑)。今だから話せるエピソードなどありますか?


葉山 『オフショアの恋人』という曲でデビューするのですが、キャンペーンで『オールナイトフジ』(フジテレビ系)に出させていただいたんです。そのときの衣装がムームーを着て髪にはハイビスカス、足は裸足でした。


――今にも踊りだしそうだ。


葉山 当時の社長が昔ながらの方だったので、「イメージが大切だ。誰が見ているか分からない」って、テレビ局に入るときから靴を履かせてもらえないんです。「街を歩くときもハイビスカスは外すな」って。一歩間違うとアブナイ人になっちゃうじゃないですか。16歳だから、恥ずかしくてたまりませんでした。


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――本来やりたかったのはどんなアイドルだった?


葉山 やはり世代的には聖子ちゃん路線か明菜さん路線ですよね。いま考えると、事務所的にはカラーを付けてあげたいという親心なんですけど、子供の私からするとイジワルされてるの!? くらいに思ってました。


――アイドルとしての同期は誰ですか?


葉山 山瀬まみちゃんやおニャン子クラブが同期なんですけど、私は残念ながら東京の歌番組には1回も呼ばれたことがなくて、当時のアイドルで唯一、仲が良かったのは地方局の歌番組で共演したことのある山瀬まみちゃんでした。


――「人見知りを克服するため」、親の勧めで地元、名古屋の児童劇団に所属。そこで受けたオーディションが『中学生日記』(NHK教育)だったそうですね。その出演を機に、芸能界への思いが強くなったのだとか?

グラビアは不思議と…!?

葉山 『中学生日記』がデビューだと思われているのですが、実は出演は2回だけなんです。1回目が校内のマドンナ役で、男の子との恋バナ的な展開。その後は金八先生みたいにずっとクラスの席に座り、みんなと仲良くなって…と思っていたのに、全然呼ばれなくて。「あれ? 私、いなかったことになってるの!?」と落ち込みましたね。2回目は卒業式のシーン。他の子たちは別れが惜しくて本気で泣いているのに、私は涙が出ませんでした。きっと、子供には分からない事情があったんだと思います(笑)。ただ、スタッフの方はとても良くしてくれて、東京の本社に異動されてからも遊びに行ったくらいなんですよ。

――でも、その後の芸能活動は順風満帆でしたよね。


葉山 いえいえ。まず、歌手として上京する時点で両親は大反対でした。「2年で売れなかったら帰っていらっしゃい」という条件付き。なのに、歌手としては芽が出ずに19歳でグラビア活動に移行、その後は女優としてさまざまなオーディションを受けても落ちることの方が多くて。今でも両親には「長い2年ねぇ」と言われてます(笑)。


――転機となったのは、やはり青年誌のグラビアですか。


葉山 そうですね。当時は別の事務所に移っていたのですが、社長が女性で「グラビアを撮ってキレイな女の子がいたらいいな」と思っていたそうなんです。日本版エマニエル夫人みたいに、可愛らしくて清楚な感じのグラビアを作りたいと。


――言われてみれば、葉山さんは肌も白いし籐の椅子に座って足を組んでる、あのポスターのイメージに合いそうだ。初めてのグラビア撮影は緊張しました?


葉山 アイドル誌での撮影は経験していたので、写真を撮られることは好きでした。社長さんの熱意もあるし、何よりも女性なので信頼できるかなと、悩むことなく臨めました。仕事だから頑張らなくちゃ、みたいな気負いもなく、どういうポーズをしたらキレイに見えるかとか、そういうことしか考えてなかったです。


――当時と今もスタイルは変わってないそうですね。あの頃のチャームポイントはどこでした?


葉山 割と肌が白いなというところくらいですよ。あとは…上半身に比べてお尻が大きいなぁとはずっと思ってましたけど(笑)。


――おしとやかというか、慎ましい胸に対して、ということですね。


葉山 はい(笑)。


――結局、エマニエル夫人風の写真は撮った?


葉山 いえ、やってないです。仮に撮っても昔の私のイメージは幼すぎて、似合わなかったと思います。


――今ならフィットするんじゃないですか? 誰かオファーしてほしいなぁ。


葉山 もうないでしょ。最後にグラビアを撮られたのは15年も前ですから。あのときでも「うわぁー、やるんだぁ」と思ったくらい。もう、怖くて無理です。
◆はやまれいこ 1969年7月13日生まれ。T162。『ギルガメッシュないと』(テレビ東京)レギュラー。主演映画『上方苦界草紙』(村野鐵太郎監督)がイタリア・サレルノ国際映画祭でグランプリを受賞。韓国の連続ドラマ『雪の花』でも話題となる。 インスタグラム@hayama.reiko