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『令和の“応演歌”』そえんじ~島田洋七さんに弟子入りできず歌の世界へ(前編)

そえんじ
そえんじ(C)週刊実話Web

――9月に島田洋七さんが作詞を担当した洋七コラボCD『こんな感じでいいじゃん!人生は』をリリースしました。

そえんじ 幼稚園の頃からお笑いが大好きな子供だったんですよ。当時、関西で大人気だったダウンタウン出演の『4時ですよ〜だ』を家に帰ってすぐに見るような幼稚園児でした。小学校4年くらいから友達の前で一発ギャグを披露するようになってましたね。でも、お笑いに詳しくなるにつれて、どんどん芸人さんの芸を斜に構えて見るようになっていったんです。

ちょうど中学2年のときに、洋七さんが吉本興業に復帰されて、初めてB&Bの漫才を見たんです。「この人が一番おもろい。将来はこの人の弟子になろう」と決心しました。中学の進路相談では「洋七さんの弟子になるので、高校へは行きません」と言ったほどです。でも、結局、ビビリな性格なんでしょうね。高校、大学へ進みました。

大学4年のときに本格的に洋七さんに弟子入りしようと『なんばグランド花月』や吉本の芸人さんがよく訪れる食堂で弟子入りを懇願しようと待ち構えていたんですが、ビビリな性格が影響したのか何も言えなかったんですよ。

――それで芸人を諦め、歌手の道に進んだんですか?

そえんじ 中高生の頃から歌は得意で、裏声が出たり、モノマネをして笑いを取っていたんです。学校の先生にも歌手の道を勧められたんですが、芸人を目指していたので突っぱねていた。でも、それまでの人生で芸人さんを目指してもどうしていいのか分からず、社会に出てもなかなか上手くいかなかった。そんなとき歌が得意なことを思い出したんですね。歌で成功すれば、いつか洋七さんに会えるんじゃないかと思ったんです。

憧れの島田洋七さんにもお目にかかり…

大学卒業後の23歳のとき、ギターを始めました。家電製品の回収の仕事をしながらギターの師匠に習った。その師匠が元々芸能事務所にいた方で「こいつに教えたら面白いんちゃうかな」と思ってくれたようです。

でも、僕は陰で努力するようなタイプではないとすぐに見破られてしまって、25歳くらいからワンマンライブをすることになったんです。何度かライブをこなし、その後、育った兵庫県高砂市の文化会館で2019年までワンマンライブを毎年開催していました。

僕のライブは3時間半で10曲しか歌わないこともありました。残りの時間はしゃべりですね。洋七さんの次に憧れていたのが、やしきたかじんさんだったので、歌と歌の合間のトークでも笑わせたいという気持ちがあるんですね。

――その間、洋七さんと出会うチャンスはあったのでしょうか?

そえんじ 2014年10月に初めてお目にかかりました。お世話になっている加古川の建設会社が周年イベントを開催することになったんです。僕も出演したんですが、ゲストに誰を呼んだらいいか相談され、迷わず洋七さんの名前を挙げました。

当日、楽屋へ挨拶へ行き、ずっと弟子入りしたかったことを打ち明けると、出番の5秒前まで話してくれたんですよ。洋七さんはそのままステージに上がり、10秒後には爆笑を取っている。中学生のときに洋七さんに憧れたのは間違っていなかったなと実感しましたね。

(以下、後編へ続く)

そえんじ
兵庫県加古川市出身。トークソングライター。FM大阪『そえんじの音楽DOH!』に出演中。9月23日、洋七コラボCD『こんな感じでいいじゃん!人生は/優しい言葉の中にも』をリリース。

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