蝶野正洋 (C)週刊実話Web
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蝶野正洋『黒の履歴書』~アントニオ猪木さんとのお別れ

アントニオ猪木さんの告別式に参列させてもらった。家族葬ということでかなり人数を絞ったということだったけど、プロレス界のOBや現役選手、ゆかりの方々など300人以上が集まった。


俺は猪木さんに遅刻で怒られたことがあるから、最後まで遅れたら合わせる顔がないと思って、かなり早めに家を出たんだけど渋滞にハマってね。会場に着いたのは、告別式が始まるギリギリになってしまった。


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席に着いてみると、隣にいるはずの武藤さんがまだ来ていない。俺の家と武藤さんの家は近いから、同じように渋滞に巻き込まれてしまったのかな、と思っていたら式が始まってしまった。お経をあげるためにお坊さんが3人、ゆっくりと会場に入ってきたんだけど、そのあとに体のデカい坊さんがいるなと思ったら武藤さんだった。


参列者は他に坂口征二さん、藤波辰爾さん、藤原喜明さんなど錚々たる面々で、高田(延彦)さんとか、(佐々木)健介とか、久しぶりに顔を合わす方々もいた。それぞれ道が分かれて、お互いにいろいろあったと思うけど、猪木さんの前ではわだかまりもない。それに棚橋、オカダ、中邑選手など現役世代も駆けつけてくれていて、猪木さんを送り出すのにふさわしい顔触れだったと思う。


祭壇は、猪木さんの赤いタオルを模した立派なもの。棺の中にみんなで白い花を手向けて、出棺という流れになった。


棺は坂口さんが「みんなで持て」と声をかけてくれて、OBレスラーたちで持たせてもらったんだけど、これがものすごく重かったんだよ。あんなにやせ細ってたのに、さすが猪木さんだなって実感したね。誰かれともなく「会長は最後に試練を与えてくれたな」とボヤいてたよ。

最初で最後の“猪木コール”

棺を担ぐときも、みんな勝手な位置についてるから、背の大きい人が片側に偏ってしまってバランスが崩れてしまった。写真を撮るのでそのままカメラのほうを向いてと言われたんだけど、棺が傾いてないか不安だったよ。

出棺するときに、主催者からの呼びかけで「猪木コール」で送り出しましょうということになった。でも俺、今まで猪木コールなんてしたことないんだよ。それは他のOBレスラーたちも同じだと思う。あれはファンがリングにいる猪木さんに対してするものだからね。なので、ちょっと気恥ずかしいというか、不思議な気分だったけど、大声出して、最初で最後の「猪木コール」をさせてもらった。


火葬場で休んでいるときに、小川直也選手と近くになってね。軽く話をしたんだけど、すごく純粋な目をして猪木さんの思い出を語ってくれた。それだけで、彼も猪木さんのことが大好きだったんだなと思ったよ。


最後にお骨を拾ったんだけど、その一つ一つが立派で壺に収まらないくらいだった。徹頭徹尾、規格外の人だったね。


猪木さんは、とにかく24時間365日「アントニオ猪木」で、ずっと走り続けた人生だったと思う。それはあの場にいた人もみんな感じていて、「猪木さん、ゆっくりお休みください」と声をかけていた。


こうして送り出しても、まだ現実感がないけど、これからもずっとアントニオ猪木のことを語り続けていきたいね。
蝶野正洋 1963年シアトル生まれ。1984年に新日本プロレスに入団。トップレスラーとして活躍し、2010年に退団。現在はリング以外にもテレビ、イベントなど、多方面で活躍。『ガキの使い大晦日スペシャル』では欠かせない存在。