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鶴田浩二「太い筋を通した完全主義者」~灘麻太郎『昭和麻雀群像伝』

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メロドラマでの甘い二枚目役からスタートした鶴田浩二の華麗な映画人生は、いくつかの変遷を経た後、東映任俠路線の主柱として大輪の花を咲かせた。

忍耐と我慢、忍従の徒に徹しきった演技の背景にあるのが、海軍軍人として多くの同期の桜を失った戦争体験であった。

鶴田と同世代で、熱烈な支持者だった作家の三島由紀夫は、「鶴田の戦中派的情念と、その辛抱立役への転身と、目の下のたるみとが、すべて私自身の問題になって来たところに理由があるのかもしれない」と、共感の弁を漏らしている。

鶴田の出演作の中でも特に三島の心を打ったのが、1968年1月に公開された『博奕打ち 総長賭博』である。この映画見たさに三島は小雨の降りしきる中、東京・阿佐ヶ谷の古ぼけた小さな映画館に足を運んでいる。

当時の模様を記した著名な映画評『三島由紀夫映画論集成』(ワイズ出版)の中に、三島的な一文を見つけ出せる。

《その撫で肩、和服姿のやや軟派風な肩が、彼をあらゆるニセモノの颯爽さから救っている。そして、「愚かさ」というものの、何たる知的な、何たる説得的な、何たるシャープな表現が彼の演技に見られることか》

自決死に至るまで己れの美学、美意識を持ち続けた三島同様、鶴田もまたスクリーンの中だけでなく、私生活においても完璧なまでに一流志向を貫き通した。

酒(レミーマルタンを3日に1本あける)、女(岸恵子、佐久間良子をはじめ数多くのロマンス)、ゴルフ(オフィシャルハンデ14)と、どの分野においても大スターにふさわしいゴージャスなものだったが、麻雀に対する姿勢も完全主義者の鶴田らしく、一本、太い筋が通っていた。

鶴田邸の麻雀ルームは禁酒禁煙

鶴田邸には麻雀ルームが設置されていたが、室内に鶴田直筆による張り紙があり、そこには「NO SMOKING IN THIS ROOM」と記されていた。

鶴田自身は嫌煙者ではなかったが、麻雀を打つときには禁煙を命じた。麻雀に興じている間は、いっさい他のことに手を出すべきではない。牌の動向のみに神経を集中させる。そうすることによって、高いレベルの勝負が展開できるのではないか。それが彼の持論でもあった。

麻雀ルームにはテレビも置かれていたが、もちろん対局中はスイッチを入れない。誰かが野球や競馬の結果を気にする素振りを見せると、鶴田は露骨に嫌な顔をする。むろんアルコール類もタブーで、食事も勝負が終わるまで出されない。

このスタイルは、同じように麻雀ルームを持つ長門裕之とは対照的である。長門邸には外国煙草とアルコール類が一式用意されており、闘牌中の食事も自由、疲れたらソファで仮眠することも許される。一種のサロン的な過ごし方が長門流だが、どちらがいい悪いの問題ではない。