(画像)CHECK GROUP / shutterstock
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仲本工事さんが病室で「最後に聞いていた曲」は…

10月18日の午前中に横浜市内の交差点でワゴン車にはねられ、治療を受けていたザ・ドリフターズの仲本工事さんが、19日の22時22分に急性硬膜下血腫のため亡くなった。81歳だった。


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仲本さんは、高校時代は体操部に所属。都大会の新人戦で個人総合4位に入る活躍を見せながら、学業も優秀で弁護士かジャーナリストを志していたという。


「学習院大学に進学したエリートでしたが、在学中から音楽活動を始め、高木ブーの誘いで1965年1月にドリフターズに加入した。来日したビートルズの前座などを務め、69年10月にTBSのバラエティー番組『8時だョ!全員集合』がスタート。器械体操コーナーなどで人気者になり、俳優としても活動していました」(スポーツ紙記者)


私生活では、2度の離婚を経験。1人目の妻は82年に死別し、91年に再婚した妻との間に3人の子どもを授かったが、2004年に離婚していた。


「現在の妻で演歌歌手の純歌(54)とは、〝事実婚〟でした。馴れ初めは純歌からの〝逆ナンパ〟。出身地の高知県でラジオパーソナリティーなどをしていた純歌が、たまたま地元で行われた仲本さんのコンサートに観客として訪れ、ラジオ番組のゲストに来てほしいと、連絡先を渡したことがきっかけで交際に発展したそうです」(同・記者)

最期を看取った3人

仲本さんが車にはねられたのは、純歌が経営する横浜市内のカレー店の近くだった。

「ちょうど、『週刊新潮』が純歌との〝別居〟をスキャンダラスに報じたタイミングでの事故でした。都内で、夫婦二人三脚で切り盛りしていた居酒屋とスナックを放り出し、純歌が横浜にカレー店をオープン。彼女だけがそちらに移り住み、都内に残された仲本さんの自宅は荒れ放題で、ペットの世話もままならないと報じられていましたからね。世間の同情が集まっていただけに、あまりにも悲しいお別れになってしまいました」(同・記者)


家族ぐるみの付き合いがあった元フィギュアスケーターでタレントの渡部絵美は、容体が思わしくないという連絡を受け、19日に仲本さんを見舞っていた。


「テレビ朝日系『グッド!モーニング』の取材に応じた渡部さんは、『最後、血圧がだいぶ下がっていた状態だったので、なんか眠っているような感じ。意識はなかった』と病室の様子を語っていました」(他局のスタッフ)


最期に立ち会ったのは、娘さんと純歌、チーフマネジャーで、病室には仲本さんと純歌がデュエットした曲が流されていたという。


〝別居状態〟であることを直撃された仲本さんは、純歌との関係は悪くないと反論していた。愛する妻とのデュエット曲を聞きながら天国に旅立った仲本さん。心からご冥福をお祈りします。