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『令和の“応演歌”』藤井香愛~球団の公式ユニットのメインボーカルで活躍(前編)

藤井香愛
藤井香愛 (C)週刊実話Web

――東京ヤクルトスワローズ公認パフォーマンスユニット『DDS』、また、同球団の公認サポーターソングを歌う『DAD’S』ではメインボーカルとして活動後、2018年に『東京ルージュ』で念願のソロデビューを果たしました。幼い頃から歌手を目指していたんですか?

藤井 小学2年からボイストレーニングやダンスのレッスンを始め、歌手を目指していました。でも、当時の憧れは安室奈美恵さんや『SPEED』さんだったんです。歌って踊れる歌い手さんが好きでした。ただ、生まれた時から声が低く、コンプレックスを感じていました。中学生になると、女の子も男の子のように声変わりします。その時はさらに低くなったように感じ、悩んだ時期もありました。

――今ではそれが妖艶さを持った歌声に聴こえます。

藤井 中学1年の時に、知り合いの方から声質が近いからと、山口百恵さんの曲を勧められたんです。両親の影響で演歌や歌謡曲は聴いてはいたのですが、その時、初めて自発的に山口百恵さんの曲を聴くようになりました。それからは憧れの存在ですね。そして、高校生になり、雑誌の読者モデルも経験しました。通っていた高校には、校則がなく、私服で髪型も自由だったので、当時流行っていたファッションに身を包んでいたら、スカウトされたのがきっかけでした。

その後、芸能事務所に所属し、本格的に芸能活動を始めました。当時所属していた事務所の方から「ヤクルトスワローズ公認パフォーマンスユニットのダンサーのオーディションを受けてみないか」と誘って頂いて。合格すると、シーズン途中から球団の公認ソングを2人で歌うことになったんです。

選手の名前も分かるヤクルトファンに

――元々、野球は好きだったんですか?

藤井 それがルールも選手も詳しくなかったんですよ(笑)。試合前、5回、7回…とホームゲームでは何度も出番があるので、常に楽屋で試合を見るんですね。そうこうしているうちに、だんだんとルールを理解し、選手の名前も分かるようになったんです。気がつくと、すっかりヤクルトファンになっていました。パフォーマンスチームを卒業後も当時のメンバーと観戦に行っています。

――パフォーマンスチームでの活動はどれくらいの期間だったんですか?

藤井 1年間です。その後は、ソロでの歌手デビューを目指しアルバイトをしながら、自ら曲を作ったり、ライブハウスで歌ったり、カラオケのガイドボーカルを100曲以上歌ったりと地道な活動を続けていました。バイトでは週に5日、フルタイムで働いていたので、正社員にならないかとも誘って頂きました。

そして、28歳の時に転機が訪れたんです。ネイリストの親友と地元の中野駅前で話していると「いい年なのにどうするの?」と諭されたんです。ガイドボーカルの仕事をしてはいましたが、生活の中心はアルバイト。そこで、ラストチャンスに懸けてみよう、何もしないで歌手の夢を諦めるのはもったいないと思いオーディション雑誌を見ながら、デモテープと履歴書を10社ほど送りました。

ある日、バイトへ向かう電車の中でオーディションでファイナリストに選ばれたという連絡が入ったんです。(以下、後編へ続く)

藤井香愛(ふじい・かわい)
1988年生まれ、東京都中野区出身。2018年『東京ルージュ』でデビュー。今年1月、4thシングル『一夜桃色』、9月には『藤井香愛コンサート〜中野より愛を込めて〜第二章』(DVD)を発売。

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