(画像)Krumao/Shutterstock
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青木功「どの試合も勝つつもりで、世界一、オレがうまいと思ってやってるんだよ」~心に響くトップアスリートの肉声『日本スポーツ名言録』――第23回

日本人の男子プロゴルファーとして初めて米ツアーで優勝を果たした〝世界の青木〟こと青木功。ゴルフ理論を無視したような独特のプレースタイルを貫き、その正確無比なパッティングは海外勢から「東洋の魔術」と驚嘆された。


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1977年、初めて全英オープン(ターンベリー開催)に挑戦した青木は、予選落ちに終わったものの、雪辱を期して翌年の開催地、セント・アンドリュース・オールドコースを下見した。


すると、青木は「なんだ日本の河川敷コースとそっくりじゃないか」と思い、帰国後には荒川の河川敷ゴルフ場などで練習を重ねたという。


いわゆる高級ゴルフ場に比べれば低ランクとされる河川敷を利用するなど、トッププロならためらいそうなものだが、そんなことにはこだわらない。世界中のゴルファーたちが〝聖地〟と崇めるセント・アンドリュースでさえ、荒川の河川敷と同列に見立ててしまう。この自由な発想力と恐れ知らずの性格が、まさに青木の持ち味だ。


青木は練習の成果を発揮して、翌年の全英オープンでは初日からトップタイに並ぶと、最終的に首位と4打差の7位という好成績を挙げている。


さらに、青木はその翌年の1978年、同じくイギリスで開催された世界マッチプレー選手権で、海外初優勝を成し遂げた。同大会は当時の欧州ツアーでもトップクラスに格付けされており、第1回大会(64年)覇者のアーノルド・パーマーをはじめ、それまでの優勝者には名だたるプレーヤーたちが名を連ねていた。

揺らがない自信とプライド

そして〝世界の青木〟の名を不動のものとした80年の全米オープンでは、初日から〝帝王〟ジャック・ニクラウスとトップ争いを演じ、3日目終了時点で6アンダー。ニクラウスと同スコアのトップに並んだ。

最終日スタート直前の会見で、アメリカ人の記者が「あなたはすごいですね。有名なニクラウスと闘えて、さぞうれしいでしょう?」と青木に尋ねた。彼らにしてみれば、ニクラウスは世界に誇る自国のトッププレーヤー。対して当時の青木は、アメリカではまったく無名の存在にすぎなかった。


実際、青木は74年からマスターズ・トーナメントに参加していたが、6回の出場のうち4回が予選落ちで、それまでの最高成績は28位。全米オープンでも前年は36位に終わっていたのだから、アメリカの記者がこうした態度に出るのも仕方がないところだった。


しかし、青木は憮然とした表情で、「あんた方が知らんだけでね。俺だって有名なんだよ」と言ってのけた。のちに青木は「どの試合も勝つつもりで、世界一、俺がうまいと思ってやってるんだよ。そうじゃなきゃ海外になんか行かない」とも話しており、こうした青木の自信とプライドは、いかなるときも揺らぐことはなかった。


当時、青木は38歳。体格に勝る外国勢にドライバーの飛距離ではかなわない。アメリカの長いコースで、他選手が第2打にアイアンを使うところ、あえて3番ウッドでバンカーを狙い、そこからグリーンを攻めるといったトリッキーなプレーにも挑んだ。

初勝利はまさかの逆転優勝

パッティングも独特で、現在は「手首を動かさずにパターヘッドを固定する」のが常識とされるが、青木はパターヘッドの先を立てた状態からテークバックし、手首を使って打ち方を調節していた。

青木が独自のスタイルを駆使しながらも、しっかりと結果を出し続ける様子を間近で見たニクラウスは、「東洋の魔術」「パッティングの教科書を書き換えなければいけない」などと話したものだった。


最終日は前半でニクラウスに2打差をつけられたが、それでも青木はグリーン外からチップインバーディーを決めるなどして食い下がる。全米オープン史上でもまれにみる激闘は、結局、ニクラウスの逃げ切りVとなったが、2位の青木にもギャラリーから惜しみない拍手が送られた。


青木の米国ツアー初優勝は、83年のハワイアン・オープンだった。


最終日、最終組でラウンドしていた青木は、18番ホールを迎えた時点で2位。前の組のジャック・レナー(米国)は、1打差でリードしたままホールアウトしていた。


パー5のロングコース。逆転優勝を狙う青木のドライバーショットはラフに外れてしまい、さらに第2打もラフに…。それでもカップまでは128ヤード(約117メートル)で、ワンオン、ワンパットのバーディーならプレーオフに持ち込める。


ピッチングウェッジを手にした青木の第3打。打球はグリーン上にストンと落ちて、高く跳ねると、そのままカップに吸い込まれていった。


チップインイーグルでまさかの逆転優勝。青木はクラブを手にしたまま両手を天に掲げ、小走りでグリーンに向かいながら満面の笑顔で大歓声に応えた。


のちに映像で振り返った青木が、「生涯で一番いいスイングしている。あんなにきれいなスイングをしたのを初めて見たよ」と自画自賛したほどの奇跡的な逆転イーグルショットは、日本ゴルフ界にとっても歴史的な一打となった。


《文・脇本深八》
青木功 PROFILE●1942年8月31日生まれ。千葉県出身。64年にプロ入りして世界四大ツアー(米国、日本、欧州、豪州)を制覇。シニアを含め国内外で通算85勝。国内賞金王5回。2004年に世界ゴルフ殿堂入り。