『虚空の人 清原和博を巡る旅』文藝春秋 /1760円
鈴木忠平(すずき・ただひら)
1977年、千葉県生まれ。愛知県立熱田高校から名古屋外国語大学を卒業後、日刊スポーツ新聞社でプロ野球担当記者を16年間経験。『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
――『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』は大ベストセラーになりました。今回、清原和博氏を取材した理由は?
鈴木 2016年、清原さんが覚醒剤取締法違反で逮捕された直後に、甲子園歴史館に展示されていた清原さんのバットが撤去されるというニュースがありました。その時、雑誌『Number』の編集長が「甲子園で打ったホームランまでなかったことにされるのはおかしいんじゃないか」と話し始めて…。編集長は、1985年夏の甲子園決勝戦でPL学園の清原が放ったホームランによって、いかに自身が救われたかというエピソードをその場で語ったんです。面識のない人間にまでこれほどの思いを抱かせる清原という人に興味が湧きました。
――ある日突然、清原氏から電話がかかってきたそうですね?
鈴木 『清原和博 13本のホームラン物語』という原稿を雑誌に発表した後、ある取材の帰りの新幹線で電話がありました。いたずら電話かと思ったのですが、「キヨハラです」という消え入りそうな声を何度か聞いて、ようやく本人だと認識しました。
「あの…雑誌の記事、読みました。カーテンを閉め切った部屋で何度も読んで泣いています。ありがとうございました。それだけ伝えたくて電話しました」
清原さんはそう言いました。見ず知らずの書き手に直接電話をしてきたことに驚くと同時に、その無垢さが編集長の語っていた清原像と重なりました。
行くのが憂鬱だったインタビュー
――インタビューは1年間続きました。どのような形で進められたのですか?
鈴木 月に二度、隔週木曜日の午後3時に都内の喫茶店で待ち合わせて取材をしました。清原さんは薬物依存に加えて、鬱病とも闘っていたので約束の場所に来るのでさえ苦しそうでした。こちらも憂鬱になって、正直行きたくなかった。ただ、それでもなぜか、清原さんのことはずっと頭から消えない。もしかしたら私も他の人々も、清原さんがさらしている弱さに惹きつけられているのではないか…という気がしてきたのです。
――桑田真澄氏と清原氏との関係についてはどう思いましたか?
鈴木 2人は盟友でありライバルであり、さまざまな関係を押し付けられてきました。2人にしか理解できない関係性なのだと思います。ただ1つだけ想像できるのは、今は断絶していても、これからの人生でまた変化していくのではないか、ということです。少なくとも清原さんには、桑田さんへの思いが垣間見える瞬間がありますから。
(聞き手/程原ケン)
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