島田洋七 (C)週刊実話Web
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東京進出初日の泡風呂事件~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

前回、洋八とB&Bを組んで初舞台を踏んだ時のことを書きましたね。その後、徐々に洋八も漫才ができるようになり、俺らは上方お笑い大賞で銀賞を受賞した。そこで俺は2代目の相方、上方よしおと同じように東京進出を洋八に切り出したんです。


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ある日喫茶店で「洋八、東京行かへんか?」と真顔で誘ったら「ええよ」と軽く承諾する。「いま、何て言うたん?」と確かめると「行こ行こ。俺は岡山出身やから、大阪だろうが、東京だろうが、どこでも場所はええよ」。そして、東京進出を決意した2人は吉本興業に説明に行ったんです。


「大阪には、やすきよさん、中田カウス・ボタンさんをはじめ、面白い漫才師がたくさんいます。大阪の漫才を広めたいので東京へ行きます」と直訴すると、「東京でどこの事務所に入んねん?」。「どこかわかりませんけど、適当に探します」。まだ東京に吉本の支社がない時代だったんです。


自分たちで東京の事務所に電話して探しましたね。最初は浅井企画。すぐに断られました。次は太田プロダクション。太田プロは俺らのことを知っていたようで、「うちに来てくれるのは嬉しいね。仕事はたくさんあるよ。再来週からハワイでも仕事があるし、北海道にもある。テレビの仕事も20〜30本はあるから」。


いま考えれば、俺らを笑わせようとしたのかも知れないですけど、当時は怪しいと思って、もう一度するはずだった電話をしなかった。困った俺らが吉本に相談すると、やすきよさんのマネジャーだった木村政雄さんが、戸崎事務所という東京の小さな事務所を紹介してくれたんです。

新幹線の中…突然泣き出す洋八

東京に引っ越す日、新大阪駅から新幹線に乗る際、グリーン車に乗って行こうと洋八に提案したんです。それまでグリーン車なんて乗ったことなかったけど、「それくらいの芸人になろうな」と話しましたね。

新大阪駅を出て、ちょうど京都駅に差し掛かる頃、横に座っている洋八が突然泣き出したんですよ。「どうしたん?」と声をかけると、「売れんかったらどうする?」。「いまさら言うな。売れるか売れんかは行ってみんとわからんやろ。売れんかったら、芸人辞めて、他の仕事に就けばええしな。お前だって、岡山からプロボウラーを目指して大阪に出て来たのに漫才師になったんやろ。俺だって嫁さんと家出してたまたま漫才師になった。売れんで元々や」と説得しましたよ。


東京に着くと、事務所が2人の住むマンションを1室用意してくれていた。風呂を沸かしていると、風呂場から洋八の声が聞こえてくる。「洋ちゃん、ちょっと来て。物凄い泡立ってるわ」。駆けつけると浴槽が泡だらけ。「何か入れたんか?」と洋八に尋ねると、「入浴剤を入れた」と言うんです。


でもよく見たら、入浴剤ではなくて洗剤だったんです。「洗濯用の洗剤や。そりゃ泡立つわ。こんなん入ったら具合悪うなるで〜」。「東京は入浴剤も違うんかと思った」。「アホか、お前は」。大笑いしましたよ。


風呂から出て、スーパーでインスタントラーメンやレトルトカレーを100個ほど、近くの電気屋で中古の炊飯器を1000円で買って、俺と洋八の東京生活がスタートしました。
島田洋七 1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。