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蝶野正洋『黒の履歴書』~新日本&全日本プロレス「創立50周年」

蝶野正洋
蝶野正洋 (C)週刊実話Web

今年、新日本プロレスが創立50周年を迎えた。ということは、ジャイアント馬場さんが旗揚げした全日本プロレスも50周年ということになる。どちらの団体も1972年に設立され、お互いに影響を与え合いながら、プロレス界の歴史を作ってきた。

先日、その全日本プロレスの「50周年記念大会」が、日本武道館で開催された。リング上には、全日本に縁のある新旧のレスラーが集まり、全12試合とボリュームたっぷりの興行となったようだ。

俺がプロレスラーを志していた頃、新弟子を募集している団体は全日本と新日本しかなかった。当時の全日本プロレスは、不世出の馬場さんのイメージが強すぎた。一方、新日本は猪木さんをトップに藤波さん長州さん、タイガーマスク、前田日明と日本人スターが多く、新日本プロレスの入門テストを受けた。

なんとか合格してからは、練習生の頃もデビューしてからも、俺は新日本の中でどうやってノシ上がっていくかということしか考えてなかったから、全日本プロレスに限らず他団体の試合はまったく見なくなった。

新日本プロレスの「闘魂三銃士」と、全日本プロレスの「四天王」は、同世代ということもあってよく比較されていたみたいだけど、当時はほとんど意識したことがなかった。三沢光晴社長とはNOAHになってから、選手とはリングを離れた最近になってから、絡むことが増えたという感じだね。

武藤さんの驚きの発言

俺が全日本プロレスを意識するようになったのは、2000年に渕さんが新日本マットに乗り込んできた時。そのあと、武藤敬司さんが全日本に移籍してしまうんだけど、この時は正直「ふざけるなよ」という気持ちがあった。

新日本プロレスが会社としてガタガタだった時で、俺は何も言わずともみんなで一緒に頑張っていくしかないと思ってたのに、武藤さんは自分のことしか考えてなかった(笑)。まぁ、武藤さんのそういう性格や言動は、お互いに新弟子だった頃から、よーく分かってたんだけどね。

そんな武藤さんも、ついにリングシューズを脱ぐことを決めて、来年2月21日に東京ドームで引退試合を行うことになった。俺は生中継の解説として実況席から試合を見届けるというオファーを受けたんだけど、なぜか先日行われた記者会見に出てほしいとNOAHから頼まれた。

当日、何の打ち合わせもしないで登壇したら、その場で武藤さんから「引退試合の相手は蝶野でもいいよ」とか、「俺の横に並ぶか? タッグマッチで」と、無茶なオファーを仕掛けてきた。今回は、引退試合のVIP席のチケット料金が50万円と破格なので、それを売るために利用されたんだと思うけど、まぁハメられたよね。

とはいえ、新日本プロレスと全日本プロレスの50周年イヤーが明けて、その両団体に深い縁のある武藤さんが、このタイミングで引退するというのは感慨深いものがある。

幸い、VIP席はもうソールドアウトしたみたいだから、俺の出番はなさそうだけど、最後の瞬間まで仕掛けてくるのが武藤敬司だからね。無事に見届けられるように、こっちも気を張っておくよ。

蝶野正洋
1963年シアトル生まれ。1984年に新日本プロレスに入団。トップレスラーとして活躍し、2010年に退団。現在はリング以外にもテレビ、イベントなど、多方面で活躍。『ガキの使い大晦日スペシャル』では欠かせない存在。

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