燃える闘魂アントニオ猪木「栄光の王座遍歴」燦然と輝くベルトは強者の証し
よって日本プロレス復帰後の71年に獲得したNWA認定のUNヘビー級王座が、猪木が最初に獲得したメジャータイトルといって差し支えないだろう。
UNとはユナイテッド・ナショナルの略で、直訳すると「国の集まり」というような意味。NWAがアメリカ、カナダ、メキシコの3カ国におけるタイトルとして設けたものであり、格付け的には全世界に通じるNWA世界王座よりは下で、国や地域別の王座(NWA北米ヘビー級王座など)やアメリカ各州限定のローカル王座(NWA認定ミズーリ州ヘビー級王座など)よりは上ということになろう。
70年に制定された王座の初代はデール・ルイス。草創期の記録には曖昧な部分があるものの、一応、猪木を6代目王者とするのが定説とされる。前王者のジョン・トロスは、当時のアメリカではトップクラスのヒールであり、これを敵地ロサンゼルスで破った文句なしの戴冠であった。
その頃、ライバルのジャイアント馬場は、力道山に由来するインターナショナルヘビー級王座に君臨していた。もともとインター王座はNWAがルー・テーズに与えた名誉タイトルで、それを力道山が強引に日本占有の王座に仕立て、ベルトも日本製というやや怪しい代物ではある。しかし、長く日本のエースの証しとされてきただけに、その意味での価値は高かった。
猪木はUN王者となったことで「対等の立場だ」と馬場への挑戦を表明するが、会社は「時期尚早」としてこれを却下。結局、団体エースの座を懸けた馬場との直接対決はかなうことがないままに、猪木はクーデターの嫌疑で日プロを除名され、UNベルトは猪木から剥奪されてNWA本部へと返還された。
その後、日プロでは坂口征二や高千穂明久(ザ・グレート・カブキ)らが同ベルトを巻いたが、団体崩壊とともに休眠状態に。しかし、76年に全日本プロレスの要請で復活すると、ジャンボ鶴田が新王者として長く保持し、89年には三冠ヘビー級王座に統一されることになる。
なお現在、プロレスリング・ゼロワンが管理するNWAユナイテッド・ナショナルヘビー級王座は、2004年に新生NWAが制定したもので、猪木の巻いたUNベルトとの関連は一切ない。
NWFヘビー級王座 新日初期の看板王座
70年に独立系団体として旗揚げされ、アメリカ北東部や五大湖地区を拠点に活動していたNWF(ナショナル・レスリング・フェデレーション=全米レスリング連盟)。最盛期にはNWA、AWA、WWWFに次ぐ、第4の団体と称されることもあったという。そんなNWFの初代王者は、エース兼プロモーターのジョニー・パワーズで、以降、歴代王者にはアーニー・ラッド、アブドーラ・ザ・ブッチャーらが名を連ねている。
猪木が第11代王者(第14代説もあり)となったのは、新日本プロレス旗揚げ翌年の73年12月、東京体育館で王者パワーズに挑んでの一戦。試合は1本目を猪木がコブラツイストで、2本目をパワーズが必殺の8の字固め(形が8の字に見えることと、4の字固めの2倍効くという意味で命名された)と1本ずつ取り合って、最後は猪木が卍固めで決めてみせた。
以後、このタイトルはIWGPがスタートするまで、約7年半にわたって猪木と新日の看板となるが、一方、王座が日本に流出した本家のNWFは、この頃から徐々に勢いを失い75年あたりには事実上の活動休止となる。
これに関して「王座を失ってNWFとパワーズの権威が堕ちたことが、団体消滅につながった」といわれてきたが、実はアメリカでNWFの興行はすでに頭打ちになっていた。
また、同時期にパワーズが副業で営んでいた不動産業での失敗が重なり、それらを補填するためにNWFを王座込みで組織ごと新日に売却譲渡したのが真相のようだ。
以後、NWFは新日における最高峰のタイトルとして定着し、猪木はタイガー・ジェット・シンやスタン・ハンセンらと名勝負を繰り広げることになる。
なお76年に新日のNWA加盟が認められると、NWAは他の世界王座を認めていなかったため、その意向に沿ってそれまでのNWF世界ヘビー級王座から〝世界〟の文字が外され、NWAヘビー級王座という名称となった。
81年のIWGP創設とともにNWF王座は封印されたが、平成となった03年には〝真のストロングスタイルを継承するベルト〟として復活。藤田和之、安田忠夫らとのトーナメント戦を勝ち抜いた髙山善廣が、新生NWFの初代王者となった。しかし、翌年にIWGP王者の中邑真輔がダブルタイトル戦で髙山に勝利し、NWF王座は再度封印されている。
WWFヘビー級王座 世界王座奪取も…
世界三大タイトルの一つであるWWWF王座(ワールド・ワイド・レスリング・フェデレーション)は、スリー・ダブリュー・エフの呼び名で知られていたが、79年にWの1文字(ワイドの部分)が外されてWWFとなっている。その名称変更と同時期に、猪木はWWF王座を獲得したはずだった。確かに猪木は勝ち名乗りを受け、ベルトも手にしたのだが、本家WWF(現WWE)における歴代王者の記録の中に猪木の名前はない。
一連の流れを振り返ってみると、WWFと提携していた新日は78年6月、同年2月にスーパースター・ビリー・グラハムを破り同王座に就いていたボブ・バックランドを招聘。猪木(NWF)とバックランド(WWF)は、互いのベルトを懸けたダブルタイトルマッチで激突する。
3本勝負で行われたこの試合は、猪木が40分すぎに場外でバックドロップを仕掛けて、リングアウトで1本目を先取。2本目には卍固めを決めて勝利目前にまで迫ったが、これをバックランドは力づくでロープへ逃れ、結局60分時間切れ。試合自体は1-0で猪木の勝利となったが、2本取らなければ王座移動しないというルールによって、タイトル奪取とはならなかった。
続く7月の再戦は先に勝利している猪木に対して、王者バックランドがリベンジを図るという珍しい立ち位置の中で行われ、両者1本ずつ取り合った末に時間切れの引き分けとなる。
同年12月の試合は猪木がリングアウトで勝利したが、これまたルールによって王座移動はなく、そうして翌79年11月の徳島大会を迎えることになった。
この試合では、リングサイドまで乱入してきたタイガー・ジェット・シンに気を取られたバックランドに、猪木がすかさずバックドロップを放ち、そのまま抑え込んで3カウント。このときのルールは60分1本勝負であり、勝利を収めた猪木は当然のごとくWWFのベルトを手にしている。
続く同年12月、蔵前国技館での試合は、もちろん猪木がWWF新王者、バックランドが挑戦者として行われた。しかし、今度はシンがリング内にまで乱入し、試合をぶち壊して無効試合に終わると、この結果を不服とした猪木は王座を返上。これが日本で実際に起きたストーリーであった。
その流れからすると、次は王者不在のまま〝WWF新王座決定戦〟が行われるべきなのだが、その直後にアメリカで行われたバックランドvsボビー・ダンカン戦は、バックランドの防衛戦とされていた(日本では王座決定戦と報じられたが、当日、会場での発表はあくまでも防衛戦)。
もともとWWF側は、先に猪木が勝ってリターンマッチでバックランドが勝つ、いわゆる〝レンタル王者〟の図式で考えていたが、猪木が年下のバックランドに負けることを嫌がり(当時、猪木36歳、バックランド30歳)、新日が無効試合からの王座返上でお茶を濁したともいわれる。
しかし、そうした経緯を米国ファンに説明すると混乱を招く恐れがあり、また、バックランドに傷をつけたくもない。この時代に極東での試合結果を知るファンはほぼいなかったので、WWFは猪木の戴冠をなかったことにしてしまったという説が濃厚だが、真相は明らかにされていない。
結局、猪木と新日もこれに対して文句をつけることはなく、それどころか王者バックランドと猪木がタッグを組んでの〝日米帝王コンビ〟として、80年にはMSGタッグリーグ戦に出場している(決勝でスタン・ハンセン&ハルク・ホーガン組を破って優勝)。
IWGPヘビー級王座 骨折でタイトル返上
IWGP初代王者は誰かと問われたとき、ハルク・ホーガンの名を挙げるファンがいるかもしれないが、厳密に言うと、これは誤り。IWGP(インターナショナル・レスリング・グランプリ)は直訳すると〝国際レスリング大賞〟で、当初の構想は年間を通して世界各国で大会を開き、その中で最強選手を決めるというものであった。
第1回大会に優勝したホーガンには、これをたたえるベルトこそ贈られているが、ベルトを懸けての防衛戦などは行われていない。
正式に王座となったのは、IWGP王者決定リーグ戦として開催された87年の第5回大会以降のことであり、この大会の決勝でマサ斎藤を下した猪木が初代王者に認定されている。
とはいえ、猪木が王者に君臨したのはわずか半年ほどで、クラッシャー・バンバン・ビガロ、ディック・マードック、スティーブ・ウィリアムスを下して防衛した後、長州力との試合で猪木が左足を骨折してレフェリーストップとなり、ここで王座を返上している。
そうした猪木の防衛ロードよりも、第1回大会の舌出し失神事件や第2回大会での長州乱入&蔵前暴動のほうが印象深いというファンはきっと多いだろう。
タイトル返上後に猪木がIWGP王座に関わったのは、88年8月8日の横浜大会、王者・藤波辰爾に挑戦者として挑んだ試合で、結果は60分時間切れ引き分け。これが猪木にとって最後のタイトルマッチとなっている(89年、東京ドームでのショータ・チョチョシビリとの異種格闘技戦では、負けた猪木がWWF世界マーシャルアーツヘビー級のベルトをチョチョシビリの肩にかける場面があり、その後に大阪でリベンジした試合を最後のタイトル戦とする説もある)。
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