『燃える闘魂ラストスタンド』主婦の友社
『燃える闘魂ラストスタンド』主婦の友社

『燃える闘魂ラストスタンド』著者:鈴木健三~話題の1冊☆著者インタビュー

鈴木健三(すずき・けんぞう) 1974年7月25日生まれ。愛知県碧南市出身。明治大学ではラグビーで二度の大学日本一に輝く。卒業後は東海テレビ入社。その後プロレスラーとして新日本プロレスやアメリカのWWEで活躍。2017年より共同テレビジョンのプロデューサー。
【関連】『佐久間宣行のずるい仕事術』著者:佐久間宣行~話題の1冊☆著者インタビューほか

――鈴木さんはプロレスラーとしてご活躍中です。なぜ畑違いのテレビマンの仕事を?


鈴木 明治大学を卒業後、東海テレビ放送に入社しました。ところが社内研修後、配属は社内で1番厳しい東京支社営業部。ちょっとついていけなくて、思い悩んでいました。スーツは何着も必要で、よくスーツを作っていた店で新日本プロレスのカレンダーを眺めている僕の姿をオーナーが見ていて、当時の新日本プロレスの社長・坂口征二さんに連絡。結果、プロレスラーになっていました(笑)。


新日本プロレスを皮切りにアメリカのWWE、メキシコのAAA、日本では全日本プロレスが主戦場になりました。そして、以前から40歳を境にセカンドキャリアの構築のために就職することを決めていたので、就職活動を開始。テレビ局時代の先輩に導かれて同じフジサンケイグループの共同テレビに入社し、今はCMやBSフジ『反骨のプロレス魂』などいろいろなことをやっています。

サービス精神と信念に頭が下がる思い

――昨年11月『燃える闘魂ラストスタンド』が放送され、大反響を呼びました。番組を制作したきっかけは何だったのですか?

鈴木 猪木さんのYouTubeを見たときに、現代の大スターの最後の大切な言葉をネットで発信するというのは、ちょっと寂しいと思いました。これはもはや、日本全国民に聞いてもらいたい言葉だし、病床から発せられる最後に振り絞った言葉は、今しか出せないだろうと。おそらく今後、さらに病気が進行したら、強い言葉も出てこないだろうし、本当に今しかないと思いました。病気に立ち向かうフレッシュな言葉をコロナで弱った国民に聞いてほしかった。そしてそれがプロレスラーとして、また、テレビマンとしてできることだと思いました。


――全身性アミロイドーシスという難病で、すっかり衰えてしまった猪木さんですが、撮影現場ではどんな様子だったのですか?


鈴木 猪木さんはサービス精神が旺盛で、僕たちが行くとすごく気を使ってくれて、1時間も話をしてくれるんです。そして次の日に倒れちゃったりするんです。でも、そのサービス精神と信念には頭が下がる思いでしたね。毎回毎回、しんどそうで心臓もあまりよくないのに、言葉を振り絞ってくれました。


――番組を制作するにあたり、鈴木さんが視聴者に一番見せたかったのは何でしょうか?


鈴木 アントニオ猪木が自分の人生と闘っている姿です。どんな状況に置かれてもアントニオ猪木はすごくカッコいいです。


(聞き手/程原ケン)


【アントニオ猪木さんは、10月1日にお亡くなりになりました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。】