島田洋七 (C)週刊実話Web 
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“昭和の喜劇王”藤山寛美が贔屓にしたクジラ店の女将~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

前回、昭和の喜劇王・藤山寛美先生と大阪のクジラ料理店で2回も遭遇し、ご馳走になった話をしました。その店は本当に美味しくてね。計4回も行ったんです。


3回目は、2回目の3カ月後。その日も大阪のテレビ番組の収録後でしたね。洋八とマネジャーの3人で向かったんです。でも、また寛美先生が店にいらっしゃって3回も…となったら、寛美先生にご馳走になるために行っているみたいでしょ。だから、入る前に店内をこっそり覗いてみたんです。さすがにその日は寛美先生はいなかった。


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でもね、安心して店内に入ると、今度は3代目の桂春団治師匠がいたんです。


「師匠、おはようございます!」


「よくこの店を知ってるね。大阪で一番美味しいんだ」


「僕らは今日で3回目なんです。1回目と2回目に来た時は、藤山寛美先生がいらっしゃったんですよ」


「寛美先生はときどき来られるみたいだよ。何か言われた?」


「自分のギャグ『もみじまんじゅう~!』を舞台で使ったことがある、とおっしゃってました」


「寛美先生はアドリブの天才だから。ところで君らは東京に住んでるんだろ?」


「そうです。でも、仕事で大阪に来る際にここに来たら、偶然、2回も寛美先生に会って2回ともご馳走になったんです」


「寛美先生らしいね」


後は少し芸の話をして、それぞれでクジラ料理を堪能していた。すると、春団治師匠が「僕はもう先に帰るから。頑張りや」と声を掛けてくれた。「師匠、どうも失礼します」。「僕はね、寛美先生と違って君らの分は払えないから。ごめんね。それに君らのほうが儲かってるやろ。俺は3代目の春団治やからね」と言い残して店を後にされたんです。

見事な三段落ちの後は…

初代桂春団治さんは、芸人は飲めや、食えや、遊べやと豪快な人で有名でしたから、ご馳走してくれたかもしれません。もしかしたら、3代目春団治師匠は2回も寛美先生に奢ってもらった話をしたフリに、3回目でうまく落としたのかも。三段落ちというやつです。

4回目は、洋八とマネジャー、テレビ局の社員さんの4人で訪れたんです。その時は芸人さんはどなたもいらっしゃらなかった。会計では「今日は俺が払う」と洋八が言い出した。「寛美先生やないんやから」と俺がツッコむと、今度はマネジャーが「事務所の経費で落とします」。テレビ局の社員さんも「いやいや、テレビ局の経費で落としましょう」。4人で誰が払うかモメていたんです。


結局、割り勘で払うことで落ち着きました。その一部始終を見ていた女将さんが「あんたたちセコいわね。寛美先生にはなれないわよ」とピシャリひと言。お客さんも大爆笑。女将さんが厨房に入ると、近くにいたお客さんから「女将さんはエンタツ・アチャコの花菱アチャコさんの娘さんらしいですよ」。道理で面白いツッコみだと思ったんです。


数十年後、福岡・博多座や名古屋・中日劇場で行った舞台『島田洋七のお笑い佐賀のがばいばあちゃん』で初めて座長を務めた。その時、俺は藤山寛美先生のなんでもないセリフでも観客を大爆笑に包み込む、独特の間を意識して稽古に励んだものです。
島田洋七 1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。