古賀稔彦「生きるか死ぬかの闘いをしようと決めました」~心に響くトップアスリートの肉声『日本スポーツ名言録』――第20回
「平成の三四郎」の異名を取った柔道家で、バルセロナ五輪で金メダルを獲得した古賀稔彦が、昨年3月、がんにより53歳の若さで他界した。闘病でやせ細る中でも母親には減量と伝えるなど、最後まで気丈に振る舞っていたという。
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古賀稔彦の名を全国に広めたのは、1990年の全日本柔道選手権だった。無差別級日本一を決めるこの大会に、前年の世界選手権71キロ級優勝の実績を引っ提げて参戦した22歳の古賀は、重量級トップクラスの選手たちを動きで翻弄して勝ち進んだ。
決勝で待ち構えていたのは身長で20センチ以上、体重で50キロ以上も上回る小川直也。同大会の前年覇者で、重量級世界王者でもある最強柔道家に対し、古賀はそこまでの疲労もあっただろう、惜しくも足車で一本負けを喫した。
当然といえば当然の敗戦であるが、古賀は小川に投げられた後、畳の上に大の字になったまま「柔道の試合で自分の体が宙に飛んだのは、あれが生まれて初めて」と涙を流している。決勝戦で敗れたとはいえ、世間は「柔よく剛を制す」を体現してみせた古賀を「平成の三四郎」と称賛した。
翌年の世界選手権で連覇を果たした古賀は、92年のバルセロナ五輪で日本選手団の主将を務め、金メダル確実との前評判に本人も自信を見せていた。
棄権は1%も考えてなかった
ところが、本番直前にまさかの事態が起こる。現地で後輩の吉田秀彦と稽古中、古賀が左ひざを捻って靭帯を損傷し、全治1カ月の大けがを負ったのだ。相手の吉田は「ボキっと音がした」と青ざめ、マスコミへの公開練習での出来事だったことから、「出場は絶望的」と大々的に報じられた。古賀は周囲の手を借りて選手村に戻ると、部屋のベッドの上で傷めた左ひざを冷やし続けた。
古賀の故障はあくまでも事故であったが、吉田は選手村で同部屋だったこともあり、「大変なことをしてしまった」と周囲が心配するほどに落ち込んでいた。
だが、その日の夜、古賀は「秀彦、俺はこれで金メダルを獲れるよ。絶対に獲れる」と話したという。2つ下の後輩を気遣うと同時に、己を奮い立たせるための言葉でもあった。
代表監督をはじめコーチやスタッフのすべてが、古賀の出場は不可能だと考えていた。たとえ当日、畳の上に立ったとしても、とても試合などできない。ひざが逆向きに折れたかというほどの惨劇を目にすれば、そう考えるのも当然だろう。
だが、ただ一人、古賀本人だけは金メダルを諦めていなかった。4年前のソウル五輪で3回戦敗退となってから、ずっと「絶対に金メダルを獲る」と誓って稽古を重ねてきたからだ。
のちに古賀は、当時を振り返って「棄権することは1%も考えていなかった」「生きるか死ぬかの闘いをしようと決めました」と語っている。死ぬ気になれば、けがの痛みなど関係ない…。
とはいえ、絶対安静の状態では稽古をすることもできない。大変だったのは減量で、このとき古賀は出場規定の71キロまで、10日余りで約4キロを落とさなければならなかった。それが動けない状態では、ほぼ絶食とならざるを得ない。
後輩の吉田と抱き合い男泣き
そうして迎えた試合当日、計量はパスしたものの、そこまでほとんど飲み食いをせず、体を動かすこともなかったのだから、筋力はすっかり落ちていた。もちろん、ひざはまともに動かせる状態になく、足を引きずり、ふらつきながらの会場入り。痛み止めの注射6本を打ち、負傷箇所をテープでガチガチに固めて試合へ臨んだ。
ひざをかばいながらも積極的に攻めた古賀は、3試合を勝ち進んだところで、さらに痛み止めの注射を打つ。すでに痛みを通り越して、左脚は感覚がなくなっていた。しかし、それでも準決勝では、ここまでひざへの負担を考慮して封印していた〝伝家の宝刀〟一本背負いを決めてみせた。
決勝の相手はハンガリーのハイトシュ・ベルタラン。前年の世界選手権で下した相手だったが、それだけに警戒してしまい、古賀は最後まで攻め切ることができなかった。どちらも決め手を欠いたまま、勝敗は判定に持ち込まれる。
主審のコールとともに、副審2人から勝利を示す赤い旗が揚げられると、古賀は顔をクシャクシャにして両手の拳を握り締め、歓喜の雄叫びを上げた。
前日に78キロ級で金メダルを獲っていた吉田は、「古賀先輩が勝たなければ喜びは半分」とばかりに会場で声援を送り続けた。畳を下りた古賀は、そんな吉田を見つけると、抱きついて男泣きに暮れたのだった。
《文・脇本深八》
古賀稔彦 PROFILE●1967年11月21日〜2021年3月24日。福岡県出生、佐賀県出身。切れ味鋭い豪快な一本背負いを武器に、数々の名勝負を繰り広げた柔道家。引退後は道場「古賀塾」を開塾し、後進育成に尽力した。
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