『昭和猟奇事件大捜査線』第25回「手掛かりはメモの破片とわずかな所持品 婚約者を殺し消えた男」~ノンフィクションライター・小野一光
「連れの女が疲れて寝ているから、午後6時まで休ませておいてほしい。その分まで会計しときます…」
昭和30年代の夏のこと。東北地方X県にある観光ホテルのフロントに、宿泊している20代の男がやってきてそう口にすると、宿泊代と時間延長分の室料を合わせた4100円を支払い、出て行った。
【関連】『昭和猟奇事件大捜査線』第23回「長女を残して殺された悲劇の未亡人 不倫相手の犯行か?」~ノンフィクションライター・小野一光 ほか
宿帳に書かれていた男の名前は藤枝恭二(仮名、以下同)。住所は関東地方のQ県とある。男は同じくらいの年かさの女と、前日から宿泊していた。
男がチェックアウトしたのは午後1時30分ごろ。しかし、午後6時半になっても女が現れないため、フロントが部屋に電話を入れるも応答はない。不審に思い、客室係が合鍵を使用して部屋に入ったところ、女がベッドの上で仰向けに横たわって死亡しているのを発見。慌ててその旨を所轄のT署に通報したのだった。
捜査員が現場に急行したところ、死体にはシーツが顔面までかけられていた。手足を自然に伸ばし、ほとんど抵抗の跡はない。
被害者は25歳前後と思しき清楚な印象の女性で、普段着と見られるワンピースを着用しているが、ワンピースの裾が若干臀部にまくり上げられているほかに着衣は乱れておらず、姦淫の跡もなかった。
やがて捜査員が彼女の首に、帯様のもので絞められた痕があることに気付く。頭部近くにある電気スタンドの下に、睡眠薬の空き缶が1個置かれていたことから、被害者が睡眠薬で寝入ったところを、犯人が首を絞めたものと推測された。
被害者の所持品は、ビニール手提げカバン、爪楊枝入れの木箱、靴ベラ、ハンカチ、櫛、保険通帳袋、チリ紙、メモの破片で、そのメモの破片には「家の人達に」とあり、次のように書かれている。
〈12日朝、P県へと言って出ましたが、いまX県の××ホテルに居ります。 でもこのことに関しては何も話したくありません。だから私はこのまますべてを捨てて…。 私の荷物、家の方へ帰ると思います。どうかよろしくお願いします。 現在の白いバッグの中には今まで使った残り3万8200円入って居りますので、部屋代2000円…〉 だが、現金や彼女の身元が確認できるものは現場に残されておらず、先にチェックアウトした男が持ち去ったものと考えられた。
爪楊枝入れから身元が判明
やがて宿帳に残されていた、藤枝恭二なる男の名前とQ県の住所が、虚偽のものであることが判明する。ホテル従業員の話によれば、男は関東方面の標準語を使い、被害者との関係は内縁または恋仲に見えたとのこと。犯行の目的は痴情のもつれか、金品目的の誘い出しか、判然とはしなかったが、まずは被害者の身元確認に重点を置き、T署に設置された捜査本部は、以下の捜査方針を立てた。
○被害者身元洗い出し捜査 ①写真による面割り ②家出人、所在不明者、出稼ぎ人についての調査 ③街娼婦、接客婦について聞き込み
○遺留品に対する捜査 ①Aと名の入った赤色靴ベラについて ②B洋品店のスタンプ入りのハンカチについて ③C旅館名入り爪楊枝入れの箱について ④赤色女櫛について ⑤D産業観光印の帯封のあるチリ紙について ⑥××錠(睡眠薬)の空き缶の買受先について
○被疑者ならびに被害者に対する犯行前後の足取り(行動)捜査 ①旅館、料飲店、喫茶店、バー、一時荷扱い所その他接客業、遊園地について ②駅、バス停留所、遊覧船発着場所、ボート乗り場、タクシー等の交通機関関係についての乗車、下車の有無について ③アパート、下宿業、間借り等の止宿事実について
○モンタージュ写真、ならびにチラシの作成による被疑者、被害者の面割り捜査
こうした捜査が行われたが、家出人や所在不明者、出稼ぎ人に対する調査では該当者が現れない。
また、遺留品についても、たとえば赤色靴ベラについて、そこに入ったAという名前がQ県にある料理店Aであることまでは掴めたが、客のサービス用として、これまで約5〜6万個配布されており、配布先についてまでは調べることができないという状況だった。
その他、B洋品店のスタンプ入りハンカチはこれまでに約30万枚配布、通帳袋も約30万枚配布という具合で、個別に追いかける対象にはなり得ない。
こうしたなか、C旅館名の入った爪楊枝入れ箱については、客のサービス用として100個を製作。これまでに47〜48個を投宿者に対して配布したとのことで、期待が持たれたが、いずれも該当者は現れなかった。
また、犯行前後の足取り、モンタージュ写真やチラシを使った捜査にも進展はなく、被害者の身元判明の手掛かりがないまま、1週間が経過したのである。
そこで捜査本部は、特別捜査班を編成し、8名の捜査員を関東地方のQ県に送り、Q県警や近接県警の協力を得ながら、再度遺留品を中心に、捜査を進めることにしたのだった。
ようやく新たな証言を得る
土地勘のない場所であるうえに、Q県では長雨が続いていたことから、捜査は難航した。しかし、そうしたなか、最も期待が持たれた爪楊枝入れ箱を作成したC旅館について、実は旅館の主人が同年に行われた××議員選挙で、選挙違反で警察に検挙・取り調べを受けた直後であったことから、腹を割った情報の提出がなかったことが分かる。現状を打開するには、こちらの熱意を示して、旅館側の協力を得るほかないと考えた捜査員は、豪雨のなか、連日のようにC旅館を訪ねて協力を要請した。
すると、やがて旅館の主人も捜査員に同情心を示すようになり、「もしかしたら××さんの紹介で来た団体客に、爪楊枝入れ箱を配布したかもしれない」との新たな証言を得るに至ったのである。
××氏を通じて、それはQ県にあるY興業の会社員9名の、レクリエーション旅行だったことが判明した。捜査員はすぐにY興業を訪ね、該当者に集まってもらうと、被害者の写真ならびに所持品を提示して、知り合いではないかと尋ねる。
すると、同社に勤める金沢さつきが涙声で言った。
「この写真は姉の和美です。爪楊枝入れの箱は、私のものを姉が持っていました。パンプスは私の使い古しを姉が履いて出かけたもので、服とかを見ても間違いありません。姉は×月×日の朝、P県の人と結婚すると言って家出したまま、その後消息がなく、心配していたんです…」
妹の証言によって、ついに被害者が、Q県の「△△事務所」の事務員・金沢和美(26)であると判明したのである。
和美の交際相手や行き先については何も聞かされていないとのことだが、家出前の和美のもとには、箱根睦夫という男から、絶えず手紙が来ていたという。
さつきは和美が家出した後に、彼女が日記帳を置き忘れているのを発見。その内容によると、箱根睦夫は偽名で、和美と同じく「△△事務所」に勤めていた男らしいとのことだった。
男は女中と結婚を考えていた
すぐに「△△事務所」を訪ねた捜査員は、男が現在はP県に住む花巻浩二(24)であることを掴む。捜査員の報告を受けた捜査本部が花巻について調べたところ、彼には詐欺未遂罪と横領罪で逮捕された前科があり、現在は執行猶予中であることが判明した。そこで検挙者カードにある花巻の指紋と掌紋を、犯行現場で採取された指紋と掌紋に対照したところ、完全に一致したことから、今回の事件の犯人であると断定するに至ったのである。
その後の捜査で、花巻の母親と弟がQ県に住み、そこにP県に住む花巻が、「明日、嫁を連れて帰る」と話しているとの情報があり、張り込んだ捜査員が実家に帰ってきた花巻を逮捕したのだった。
取り調べによれば、花巻は「△△事務所」で事務員として勤務中に、同じ職場の和美と知り合い、深い仲になったようだ。そのうえで、彼女に自分が先にP県に行くから、そこで結婚しようと話し、アパートの入居資金名目で約44万円を送金させていた。
だが、そのカネのほとんどを遊興費として使っていた花巻は、P県の歓楽街で親しくなった山崎美千代(22)という女中と同棲し、結婚を考えていたのである。
花巻は語る。
「美千代と結婚するためには、和美との婚約を解消する必要がありました。ただ、そうなると当然、これまで出してきたカネを返せと言われます。そこで和美を東北旅行に誘い出して、殺そうと考えたのです」
和美には自分との交際を誰にも他言しないように言い含めており、彼女からも誰にも話していないと聞いていたことから、旅先で死んでも、自分には繋がらないと考えていたらしい。当然ながら、彼女が日記や、ホテルの部屋にメモ書きを残しているなどとは、想像してもいなかった。
花巻は、睡眠薬を飲んで寝込んだ和美をタオルで絞殺。今後のためにと彼女の所持する現金3万8000円を盗んだという。そしてP県に戻ってからは、何事もなかったかのように、美千代と結婚について話し合っていたのである。
小野一光(おの・いっこう) 福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーに。『灼熱のイラク戦場日記』『殺人犯との対話』『震災風俗嬢』『新版 家族喰い――尼崎連続変死事件の真相』など、著者多数。
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